2007年ドラフトの高校生ビッグ3といえば、中田翔(大阪桐蔭―北海道日本ハム)、佐藤由規(仙台育英―東京ヤクルト)、そしてこれから紹介する唐川侑己(成田―千葉ロッテ)の3人である。
予想どおりと言えば予想どおりだが、セ・リーグでは阪神と中日の2強の力が抜きん出ている。 5月13日現在、阪神が24勝12敗1分けで首位、中日が21勝14敗3分けで2位。以下、東京ヤクルト、巨人、広島、横浜と続くが、3位以下はいずれも勝率5割を切っている。“2強4弱”の様相だ。
昨年12月に行われた野球の北京五輪アジア地区予選におけるハイライトシーンといえば、台湾戦でのサブロー(千葉ロッテ)のスクイズバントだろう。 7回表無死満塁の場面。日本は6回裏、台湾の主砲・陳金鋒に逆転2ランを許し、1対2と1点ビハインドを背負っていた。
プロ野球に下田武三氏(故人)以来2人目の外交官出身のコミッショナーが誕生する。前駐米大使の加藤良三氏だ。 加藤氏は2006年、日本が初代王者となったWBCの2次リーグ、日本対米国戦で始球式を務めたほどの野球通。メジャーリーグに対する知識も豊富で国際的な問題が山積する今のNPB(日本プロ野球組織)コミッショナーにはうってつけの人物と言えるだろう。
「名捕手あるところに覇権あり」 これが楽天・野村克也監督の持論である。 楽天には現在、藤井彰人、嶋基宏と二人のレギュラー捕手がいるが、野村によれば「帯に短し、襷に長し」――。
顔が老けて見えるので「ジジィ」、登録名はそれをもじって「G・G・佐藤」。 さる4月8日、本拠地の西武ドームで大仕事をやってのけた。対千葉ロッテ戦、9回裏2死一塁、2対3と1点ビハインドの場面で打席に入ったG・Gは、ライトスタンドに自身初のサヨナラ2ランを叩き込んだのだ。 「マジうれしいです。言っていいですか? キモティー!」 ちなみに「キモティー」は「気持ちいい」。今ではすっかり西武ドームの人気者だ。
19歳3カ月での満塁弾はセ・リーグ最年少記録だそうだ。 巨人の新星・坂本勇人(青森・光星学院)が6日の阪神戦で阿部健太からレフトスタンドに満塁ホームランを叩き込んだ。打ったボールはカウント2−1からの内角低目の直球だった。
まるで“抱き合い心中”を見ているようだった。 これを采配ミスと言わずして、いったい何を采配ミスと呼べばいいのか。 3月30日の中日戦で広島のマーティ・ブラウン監督が披露したのは、敵地のファンがどよめきをあげるほど不可解なものだった。
怪物ルーキーは2軍で開幕を迎えることになる。 オープン戦で17打数2安打、打率1割1分8厘と極度の不振に喘いでいた北海道日本ハムの中田翔が、梨田昌孝監督から2軍スタートを命じられた。 プロは実力の世界。これだけ打てなくては仕方がない。
「最下位決定だな」 東北楽天・野村克也監督の落ち込みようといったら尋常ではなかった。 3月2日、長崎での千葉ロッテ戦に先発した大学生・社会人ドラフト1巡目ルーキーで、即戦力サウスポーと評価の高かった長谷部康平にアクシデントが発生した。初回、飛球を追って一塁方向へ走った際に左ひざを痛めてしまったのだ。
将来を嘱望される右の長距離砲、しかも高卒ルーキーとなれば清原和博(現オリックス)以来だろう。 北海道日本ハムの“怪物ルーキー”中田翔(大阪桐蔭)のバットが注目を集めている。2月10日、阪神との練習試合では推定130メートルの場外ホームランを放った。高校通算87本塁打の実績はダテではなかったということだ。
四国アイランドリーグ(今季から四国・九州アイランドリーグ)は昨秋の大学生・社会人ドラフトで三輪正義(香川オリーブガイナーズ−東京ヤクルト)をはじめ、過去最多の6選手をNPB(日本プロ野球組織)に送り出した。 これで同リーグ出身のNPBプレーヤーは11名。NTT西日本やトヨタ自動車などの9名を上回り、社会人の出身母体としてはNPB最大勢力となった。
松坂は松坂でも、こちらはダイスケではなくケンタだ。 中日にFA移籍した和田一浩の後釜として西武・渡辺久信監督が最も期待を寄せているのがプロ5年目の松坂健太である。
昨季、埼玉西武ライオンズは26年ぶりのBクラス(5位)に転落した。その再建を任されたのが前2軍監督の渡辺久信だ。 渡辺監督は西武時代、6度の日本一と10度のリーグ優勝を経験している。 投手として1986年(16勝)、88年(15勝)、90年(18勝)と3度、最多勝に輝いている。工藤公康、郭泰源らとともに西武の黄金期を支えた。
キャンプのMVPは北海道日本ハムの大物ルーキー中田翔で決まりだな。 連日のようにスポーツ紙の一面を独占している。 かつてキャンプの時期、スポーツ紙の一面を飾るのは巨人の大物ルーキーと相場が決まっていたが、最近は「巨人のドラフト1巡目ルーキーって誰だっけ?」ってな感じである。 ちなみに高校生ドラフトの1巡目ルーキーは藤村大介(熊本工)、大学生・社会人ドラフトの1巡目ルーキーは村田透(大体大)である。
キャンプ中、女性との交際に目を光らせた監督は何人も知っている。だが、若い女性の携帯電話の番号を練習の“賞品”に使った監督はカープのマーティ・ブラウン(45)くらいのものだろう。
北海道日本ハムの梨田昌孝監督が高校生ドラフト1巡目の大物ルーキー中田翔について「交流戦では甲子園の時のようにマウンドに上げるかもしれない」と仰天プランをブチ上げた。 高校(大阪桐蔭)時代、通算87本のホームランを記録した中田だが、投げても最速151キロのスピード自慢。梨田監督がピッチャーとしての魅力を捨てきれないのもわからないではない。
プロ野球における「二刀流」は口で言うほど簡単ではない。ピッチャーかバッター、どちらか一本にしぼるべきだろう。 北海道日本ハムの梨田昌孝監督が、高校生ドラフト1巡目の大物ルーキー・中田翔について「交流戦では甲子園の時のようにマウンドに上げるかもしれない」と仰天プランをブチ上げた。
4年前のアテネ五輪で日本は16個の金メダルを獲得した。これは1964年の東京五輪と並ぶ最多タイ。全体のメダル数37個は過去最多で、東欧諸国がボイコットした1984年のロス五輪を5つも上回った。
メジャーリーグの日本人パイオニアである野茂英雄が最も憧れるピッチャー――それがロジャー・クレメンスである。 近鉄時代、彼は私にこう言った。
当時はまだ公開競技だったとはいえ、オリンピックで野球の日本代表が金メダルを獲得したのは1984年のロサンゼルス大会、ただ1度のみである。 ロス五輪で日本代表の指揮を執った松永怜一は、その功績が認められて2007年1月、野球殿堂入りを果たした。
北京五輪出場を決めた星野ジャパンが、もし台湾でのアジア予選に負けていたら、“お友達内閣”がやり玉に上がっていたことだろう。 周知のように星野仙一監督と田淵幸一ヘッド兼打撃コーチ、山本浩二守備走塁コーチは六大学時代からの親友。プロに入ってからも「セン」「ブチ」「コウジ」と呼び合う仲だった。
巨人が横浜の守護神マーク・クルーンに続いて、ヤクルトの先発投手で、今季セ・リーグの最多勝右腕セス・グライシンガーを獲得することになった。さらに巨人はヤクルトの主砲アレックス・ラミレスの獲得をも視野に入れていると言われている。
「うれしいというより、ホッとしたというのが正直なところ。 特に2戦目の韓国戦、みなさんご覧になられたと思いますけど、野球ってこんなに苦しいものなのかと。終わってみて野球ってこんなに楽しいものかと。選手には感謝、感謝、謝謝(シェイシェイ)と言いたい気持ちです」 北京五輪の出場切符を手に入れた野球日本代表・星野仙一監督は帰国記者会見でそう語った。
神様、仏様、稲尾様――。「鉄腕」の異名をほしいままにした元西鉄ライオンズのエース稲尾和久さんが悪性腫瘍のため急死した。享年70。 通算276勝。1961年には日本プロ野球タイとなるシーズン42勝を記録した。15勝もすればエースと呼ばれるこのご時世にあって、42勝などという数字は今じゃ想像もつかない。