田崎健太

第45回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.2>

 アトレチコ・ソロカーバ(ブラジル)は少々変わったクラブである。  ソロカーバは、サンパウロ州の南西、サンパウロ市からは西92キロの場所にある。人口約58万人、サンパウロ州で5番目に大きな街である。  ブラジルではある程度の規模の街には必ず2つ以上のサッカークラブがある。ソロカーバには、1913年設立のサン・ベントというクラブがあった。アトレチコ・ソロカーバは91年に設立された(ブラジルの基準に照らし合わせれば)新しいクラブである。元々は女子バスケットボールのチームを元にして、街にあった2つのサッカークラブが合併して結成された。

第44回 日本でプレーしたブラジル人たちのその後<Vol.1>

 Jリーグが始まってから、20年近くになる。  日本サッカーの長足の進歩――1998年フランス大会からの4大会連続のW杯出場は、Jリーグでプレーしてきた選手たちの積み上げの結果だ。そこに、大きく力を貸したのが、ジーコを始めとした、ブラジル人選手たちである。

第43回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.7>

 2006年11月11日、ぼくはフランスのルマンにいた。  日が沈んで試合時間が迫ると、川沿いのホテルから歩いてスタジアムに向かった。スタジアムに近づくと、ほのかな街灯の中に、ルマンのユニフォームを着た人たちが歩いているのが見えた。その日の相手は、パリ・サンジェルマンだった。

第42回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.6>

 2006年5月15日、フランスリーグ終了後、松井は日本に帰国した。ちょうどこの日、日本サッカー協会で、ドイツW杯の登録メンバーが発表されることになっていた。  4年に一度のワールドカップはサッカー選手ならば誰でも出たいと思う大舞台である。松井は、自分が当落線上の選手であることを自覚していた。  優勝したアジアカップ、出場権を得たW杯予選には貢献していない。しかし、欧州のトップリーグで結果を残している数少ない選手であるという自負もあった。

第41回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.5>

 松井への初めての取材は2005年5月、その後2006年4月にも話を聞いている。  ルマンのスタジアムが良くなったのだと松井は教えてくれた。一部リーグに昇格したことで、放映権の分配額が増えたのだ。 「ロッカールームが綺麗になって、ジャグジーが出来たんですよ。ジャグジーが出来たのが嬉しかったです」

第40回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.4>

 松井が初めて実際にフランスサッカーに触れたのは、かなり早い時期――中学三年生の時だった。高校進学が決まり、部活の練習がなくなったので、国外を見てくればいいと父親から勧められた。父親は英語圏の国を念頭に置いていたのだが、進学先の鹿児島実業の監督に相談するとパリ・サンジェルマンを紹介された。

第39回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.3>

 2004年に移籍を決めた時、松井はルマンが二部だということが気にならなかったのだろうか。欧州の二部に移籍することを、拍子抜けのように書いていた報道もあった。 「最初は、ああ二部かぁ、どうしょうかなぁみたいな感じでしたよ。でも考えてみたら京都も二部だし。ぼくにとっては行ってみる価値はあるかもしれないという風に感じて。(二部だからこそ)なんかチャンスが回ってくるかもしれないし」  松井の所属していたパープルサンガは03年にJ2に降格していた。二部に移籍することも、笑いにして片付けるところが、関西人らしかった。

第38回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.2>

 初めて取材する人間と会う時は、遅刻はもっての他としても、あまり早めに到着し過ぎないようにしている。時間があると考えすぎてしまうことがあるからだ。だいたい約束の5分から10分前が丁度いい。  ところが、この日は早めに着いてしまった。というのも、昨日ルマンの街を歩いていた。この街の名前が知られるのは、モータースポーツによってだ。耐久レースの記念碑があったぐらいで、特に見るものはなかった。手持ちぶさたなので、なんとなく早めに来てしまったのだ。

第37回 ルマンの同郷人・松井大輔<Vol.1>

 彼に初めて会ったのは、もう5年以上前のことだ。  2005年5月、ぼくは南仏にいた。以前もこの連載で何度か書いたように、モンペリエでプレーしていた廣山望選手の単行本『此処ではない何処かへ』がきっかけで、しばしば南仏を訪れるようになっていた。

第34回 カズのいないW杯<Vol.4>

 半年ほど前から、体調が優れなかった。 (暑さに弱くなった。50才に近くなって身体が弱くなったかな)  三浦知良の父親、納谷宣雄は照りつける太陽を眩しそうに見上げた。身体がだるく、立っていられないほどの疲労を感じた。  試合が始まってから20分ほどと早いが、審判をしていた納谷は笛を吹いて試合を中断した。

第31回 カズのいないW杯<Vol.1>

 しばしば、人生は自分の意志と関係なく重要なことが決まってしまうことがある。そもそも、ぼくがスポーツを描くようになったのは偶然だった。  ぼくが大学を卒業後入社した出版社は、Jリーグのオフィシャルスポンサーだった。Jリーグがはじまり、サッカーの周囲はかつてないほど華やいでいた。

第30回 トルシエを追いかけてマルセイユまで<Vol.4>

 マニュエルは、用意した紙を急いで広げると、打合せ通り順番に聞いていくよという風にぼくをちらりと見た。 「では、トルシエ監督。次の質問をします。日本代表監督時代、あなたは規律を決めて選手をまとめようとした。ご存じかどうか分かりませんが、現監督のジーコは選手に自主性を与えています。それについての意見を聞かせて下さい」

第29回 トルシエを追いかけてマルセイユまで<Vol.3>

 とにかくトルシエに話を聞くことはできそうだと、ぼくは胸をなで下ろした。 「地元の記者に、トルシエのことを聞いてみようぜ」とマニュエルは、椅子にふんぞり返って煙草を吸っていた地元記者に話しかけた。 「なんでも聞いてくれってよ」  マニュエルはぼくの方に振り向いた。

第28回 トルシエを追いかけてマルセイユまで<Vol.2>

 出発前日、マニュエルにチームの広報へ電話を入れてもらうように頼んだ。 「記者会見は十一時に始まるってよ。2時間あれば着くだろうから、8時半に俺の家を出ることにしよう」  モンペリエからマルセイユまでは、約百二十五キロ。充分に余裕はある。  気がかりだったのは、マニュエルの愛車だった。ずっと前から古いシトロエンは故障がちだった。念のためレンタカーを使って、マルセイユに向かうことにした。

第27回 トルシエを追いかけてマルセイユまで<Vol.1>

 ぼくの仕事は勘違いされやすい。ブラジルやフランス、世界各国好きな場所を気楽に旅しているように思われるらしい。  確かに、日本を空けることは多い。長い年で4カ月、だいたい平均年のうち2、3カ月は国外にいることになるだろう。  ただ――、気楽というのとは違う。  ぼくの場合、全て編集部の仕切りで動くことは少なく、自分のやりたい企画を組み合わせて経費を捻出することが多い。

第26回 酒豪・ソクラテスとの対話<Vol.6>

 子どもの頃からの憧れの選手という以上に、ソクラテスと話しをすることはぼくにとって楽しみだった。  ぼくは様々な質問をソクラテスに投げかけた。 ――どうして医学部に行こうと思ったの? 「ブラジルの社会を見れば分かるだろ。この国にとって医学は重要だ。自分がやるべきだと思ったんだ」

第25回 酒豪・ソクラテスとの対話<Vol.5>

 ソクラテスは「ワールドカップは特別な大会だ」と強調した。 「ブラジルではワールドカップは情熱そのものなんだ。選手は皆セレソンとしてワールドカップに出ることを夢見る。俺も大会のずっと前から、頭の中はワールドカップのことで一杯で、始まるのが待ちきれなかった。ワールドカップの試合前にブラジル国歌を聴くと、代表の重みを感じたね。他の大会や試合とは全く違っていた。ワールドカップのトーナメントが進めば進むほど、世界中の注目が集まるのも感じた。本当にいい気分だった」

第24回 酒豪・ソクラテスとの対話<Vol.4>

 ソクラテスは、日本を訪れたことがあった。 「六本木は楽しかったね。朝方、六本木のバーで飲んでいたら、1982年のワールドカップのビデオが偶然にスクリーンに映ったことがあった。みんな盛り上がってみていた。嬉しかったね、あの代表が日本でも愛されていたというのは」  82年大会の代表には、ソクラテスやジーコの『オ・クワトロ・オーメン・ジ・オウロ』(黄金の中盤)が揃っていた。

第23回 酒豪・ソクラテスとの対話<Vol.3>

“フェノメノ”(怪物)こと、ロナウドはこの時、ロナウジーニョと呼ばれていた。「zinho(ジーニョ)」という接尾語をつけると、「小さい〜」とか、「〜ちゃん」と意味になる。逆に「ão(ァオン)」をつけると、「大きな〜」となる。  例えば、94年のW杯のブラジル代表には二人のロナウドがいた。元清水エスパルスのディフェンダー、ロナウドを「ロナウダン(ロナウドのdとァオンが繋がってロナウダンという発音になる)」と「ロナウジーニョ」と区別していた。

第22回 酒豪・ソクラテスとの対話<Vol.2>

 一気に飲みすぎた……。  トイレの鏡に映った僕の顔は、明らかに赤く酔っていた。無理もない。ソクラテスと、飲み始めて3時間以上が経っていたのだ。  長時間飲み続けることは、僕にとって珍しいことではない。それがずっとビールというのが辛いのだ。

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