プロ野球のカウントコールは今季からストライクよりもボールが先になる。 つまり「ワンストライクツーボール」は「ツーボールワンストライク」となる。
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」。幕末、吉田松陰が米国に密航を企てたが失敗。江戸へ護送される途中、高輪・泉岳寺で赤穂浪士の故事に託して詠んだ歌である。
巨人、阪神でエースとして活躍した小林繁氏(北海道日本ハム1軍投手コーチ)が1月17日、心不全で急死した。57歳だった。小林氏といえば“江川事件”について触れないわけにはいかない。
「小学校2、3年生の頃かな。初めて父親にグラブを買ってもらった。僕はもう、うれしくて寝られないわけです。で、学校から一目散に帰ってグラブを手にすると、なんと綿が全部抜いてある。もう何ちゅう親かと思いましたよ」。桑田真澄が苦笑まじりに、そんな昔話を披露してくれたのは、彼が巨人のエースと呼ばれるようになった頃だ。
2010年のプロ野球、最大の注目は埼玉西武に入団した球界最年長投手・工藤公康と超高校級左腕・菊池雄星の“競演”である。
メディアの視線は松井にばかり集まっているが、どちらが全米を席巻するような活躍をするかとなれば、それは3年目を迎えるイチローだろう。ルーキーの年、イチローは打率3割5分、56盗塁、127得点で二冠に輝き、116勝というメジャーリーグ最多タイ記録に貢献してMVPまで獲得した。今季はそれを上回るパフォーマンスを披露しそうな予感が漂っている。
田中角栄の元秘書で政治評論家の早坂茂三さん(故人)と今はなき「諸君!」という月刊誌で対談したことがある。タイトルは「司令塔の条件」。いきおい話は「加藤の乱」に及んだ。加藤紘一氏が盟友の山崎拓氏と組み、“森(喜朗)おろし”をはかった例のクーデター未遂事件だ。
地味だけど勝負強い男――。北海道日本ハムの内野手・小谷野栄一の第一印象を一言で言い表せば、こうなる。 敗れはしたものの、昨季の巨人との日本シリーズで小谷野は一躍、全国区となった。
「アラフォーに元気を与えたかった。やればできるんだぞってね」。大晦日、石井慧との柔道金メダリスト対決を制した吉田秀彦は語気を強めて言った。
プロ野球のピッチャーにとってボールの遅さは致命的である。 たとえばルーキーがキャンプ地のブルペンに初めて入ったとしよう。両脇で150キロの剛速球をビュンビュン投げている先輩がいる。 翻って自分のストレートは130キロそこそこ。もうそれだけで「オレはこの世界では喰っていくのはムリ」と自信を喪失してしまう。
エキシビジョンゲームでの松井のバッティングを見ていて気になったことがもうひとつあった。それは三振がきわめて少ないことだ。3月18日現在、41打席で松井はわずか2つしか三振を喫していない。空振り三振にいたっては、わずかに16日のアストロズ戦での1度だけ。これもハーフスイングを空振りにとられたもので、豪快な空振り三振というイメージには程遠かった。
競輪における最少の単位の着差は「微差」である。競馬でいうところの「鼻差」だ。長さにすれば1センチ未満。これで負ければ泣くに泣けない。
2年連続最下位、しかも09年は勝率3割5分4厘と“底割れ”状態の横浜がオフは奮闘している。
投手コーチとして千葉ロッテ、ヤクルト、福岡ダイエー(現ソフトバンク)、巨人の4球団を渡り歩き、7度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献したのだから「優勝請負人」といっても過言ではあるまい。
マリナーズのイチローが「天才」と呼ばれるのは、こうした芸当をいとも簡単にやってのけるからだろう。 3月7日(現地時間)のジャイアンツ戦、イチローはサウスポーのスコット・エアーから右中間スタンドに特大アーチを架けた。打球はきれいな放物線を描き、ピオリアの青空に溶けていった。打ったのは3打席目、カウント0−1からのストレートだった。
自分の色を出すということは、すなわち前任者の色を消すということでもある。前任者が偉大であればあるほど、それを急がなければならない。自分の目指す野球とは何か。新監督はメッセージを明確に選手たちに伝える必要がある。
横浜から戦力外通告を受けた工藤公康の埼玉西武入りが決まった。16年ぶりの古巣復帰である。 46歳という年齢を考えれば、西武が最後の球団であることは間違いあるまい。
やましき沈黙――。聞いていて背筋が凍るほど衝撃的な証言だった。 NHKがこの8月に放送した「日本海軍 400時間の証言」の一場面。誰もが太平洋戦争は無謀だと知りつつ、止められなかった。「自分の意見を持ちながら、それをわきにおいて流されていった」。ある海軍大佐は海軍の体質をそのように分析した。
今秋のプロ野球ドラフト会議では83人の選手が指名を受けた。最後に名前を呼ばれたのが、ジャイアンツ育成5位の神田直輝である。 彼が異色なのは国立大学の教育学部出身というだけではない。準硬式の野球部員なのだ。
いくつか疑問が残る。ワンポイントではあったにしろ、なぜあの場面で疲れの残っていた川口をリリーフに起用したのか。ライオンズの森監督は「これで最終戦に川口は使えない」と判断し、「広島が勝ちに来てくれたので助かった」と本音を漏らしている。 果たして川口を使うべきだったか、最終戦に温存しておくべきだったか。どっちが正しい選択だったかは誰にもわからない。勢いに乗るカープとしては自軍に傾いた流れを止めたくなかっただろうし、当初から「7戦勝負」を打ち出していたライオンズとしては、カープの切り札である川口を最終戦前に引きずり出し、叩いておきたかったに違いない。先にも述べたが、川口の投入はまさに賭けであり、リトマス試験紙に落とした1滴の雫だったのだ。
カリスマと呼ばれる人物が近年、めっきり少なくなった。政治の世界においてしかり、経済の世界においてしかり、スポーツの世界において、またしかり。
ピッチングコーチ出身でチームを日本一に導いた監督といえば1990年代以降では98年の横浜・権藤博監督と埼玉西武・渡辺久信監督の2人しかいない。 「野球は8割方、投手力で決まる」と言われながら、ピッチャー出身者が監督として成功した例は少ない。
横浜の新監督に就任した尾花高夫は今でも玄界灘に面した唐津への墓参りを欠かさない。そこにはホークス時代、苦楽をともにした藤井将雄が眠っている。
レイズからパイレーツに移籍した岩村明憲の出身地は愛媛県宇和島市である。宇和島沖に藤原純友が根城にした日振島があり、海賊の島として知られている。岩村がパイレーツに入ったのも何かの縁か。
「おい坊や、アイスコーヒーな」。先輩の命令は絶対である。「はい、わかりました」。しかし球場にアイスコーヒーなど置いてあるわけがない。