第628回 パラリンピックで金狙う“鉄人”久保恒造

 ソチ冬季パラリンピックのクロスカントリーとバイアスロンに出場する久保恒造の試合スケジュールを見てふと軍歌の歌詞が頭に浮かんだ。 <月月火水木金金>。休みなく勤務に励む海軍兵の士気を鼓舞するためにつくられた歌だが、高度成長期には土、日返上で働くサラリーマンも口ずさんでいた。ザ・ドリフターズが、バラエティー番組の中でこの曲の替え歌を披露したことで、私たちの世代にも馴染みが深い。

第627回 メダル獲得競技の「多様性」こそ日本の強さ

 ソチ冬季五輪11日目終了時点で、日本は6個(金1、銀3、銅2)のメダルを獲得している。金メダル数(5)、総メダル数(10)ともに史上最多だった「長野五輪超え」(橋本聖子団長)の目標達成は難しい状況だが、金なしの計5個のメダルに終わったバンクーバー大会の成績は上回った。

第626回 寺川綾のメダルには“味があった”

 ロンドン五輪競泳女子で2つのメダルを獲得した寺川綾が、師事する平井伯昌(日本代表ヘッドコーチ)から不意に声をかけられたのは、100メートル背泳ぎ決勝前のウォーミングアップが終了した後だ。寺川は腹ごしらえにおにぎりをたべていた。「オマエ、そのおにぎりの味がちゃんと分かるか?」

第625回 食堂が連帯感を生むプラットホームに

 ラグビー日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズはサントリーの監督時代、選手たちに食事中の携帯電話使用を禁じた。  なぜか? サントリー所属で日本代表最多の81キャップを誇る小野澤宏時から、理由を聞いた。「せっかく円卓になっている夕食会場で皆が携帯電話をいじり始めるとコミュニケーションがとれなくなる。エディーさんは、それを気にしていたんです」

第624回 「実力を超えた運」持った五輪レジェンド

 より速く、より高く、より強く――。これがオリンピックのモットーである。「より運よく」とは、どこにも書かれていない。  現地でレースを見終わった直後、「競馬なら万馬券だよな」と、つい呟いてしまったことを覚えている。  ソルトレイクシティ冬季五輪ショートトラック男子1000m決勝。アイスセンターに詰めかけた大観衆のお目当ては甘いマスクの日系2世アポロ・アントン・オーノ(米国)だった。だが金メダルを胸に飾ったのはスティーブン・ブラッドバリーというオーストラリアの伏兵だった。

第623回 感動の金呼んだ3番・原田&4番・船木

 ドラマをつくったのが原田雅彦なら、歴史をつくったのは船木和喜だった―。  今から16年前の2月、長野冬季五輪の観戦記で、本紙にこう書いた。ノルディックスキー・ジャンプ団体戦。第1ラウンド、3番・原田の姿は白馬の吹雪の中に消えた。わずか79.5メートル。この失速ジャンプで日本は首位から4位に滑り落ちた。その直後に原田の口から飛び出した「屋根ついてないから、しょうがないよね」との言葉ほど、この競技の本質を突いたものはない。

第622回 巨人を強くする井端の“無形の力”

 現巨人ヘッドコーチの川相昌弘が、球団のユニホームに見切りをつけ、入団テストまで受けて中日に移籍したのは39歳の時だった。原辰徳から堀内恒夫への突然の監督交代を受け、内定していた「1軍守備コーチ」のポストは宙に浮いてしまった。「だったら違う球団で 現役を続けよう。そう思って自由契約にしてもらったんです」

第621回 ダウン後も冷静 王者・内山の危機管理力

 一寸先は闇。何が起こるか分からないのがボクシングである。最悪の状況下、いかにして最善のカードを切るか。そこに勝者と敗者の分水嶺がある。  昨年の大晦日に行われた王者・内山高志と挑戦者・金子大樹とのWBA世界スパーフェザー級タイトルマッチは、日本ボクシング史に残る名勝負となった。予想どおりJBCの年間最高試合にも選ばれた。

第620回 “平和の祭典”五輪に忍び寄るテロの影

 スティーヴン・スピルバーグが制作した映画「ミュンヘン」は1972年、ミュンヘン五輪でのパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団襲撃事件と、その後のモサド(イスラエル諜報特務庁)による報復作戦を描いたものである。併せて『ミュンヘン――黒い九月事件の真相』(角川文庫)も読んだが、「平和の祭典」であるはずの五輪がテロの舞台に選ばれ、暴力の果てなき応酬へと向かう経緯はブレーキを失った暴走列車を想起させる。むき出しの感情の前には理性などひとたまりもないのか。

第619回 木田優夫こそ永遠のジャーニーマン

「アイツは本当に野球が好きだよね」。今季限りでユニホームを脱いだ元中日の山崎武司が苦笑を浮かべて語っていた。  アイツとは同級生の木田優夫のことである。45歳の今季は独立リーグ「BCリーグ」の石川ミリオンスターズでクローザーとして52試合に登板した。全72試合だから、3試合のうち2試合以上は投げた計算になる。防御率1.76という好成績でリーグ優勝、そして四国アイランドリーグplusの覇者・徳島インディゴソックスを破って「独立リーグ日本一」にも貢献した。

第618回 大学NO.1投手、プロでの成功のカギ

 ホームランを868本も放った福岡ソフトバンクの王貞治球団会長によれば「デッドボールも野球のうち」である。ピッチャーではなく、バッターとして数々の記録を持つ“世界の王”が言うのだから、居住まいを正して聞く必要がありそうだ。「だから(バッターに)当てたからと言ってピッチャーを悪く言う必要はない。それにバッターも“インコースを攻められるのも野球なんだ”と、もっと覚悟しなくちゃね」

第617回 交流制限下の南アに渡った青木の信念

 1984年12月といえば、さる5日、95歳の生涯を閉じた南アフリカ元大統領のネルソン・マンデラは、まだ獄中にあった。  当時、日本政府は国際社会と歩調を合わせ、アパルトヘイト(人種隔離政策)を行っていた南アフリカとはスポーツ、文化の交流までも禁じていた。もちろんゴルフも例外ではなかった。

第616回 「1」が重荷になった赤ヘルの“大物ルーキー”

 東北楽天のドラフト1位ルーキー松井裕樹が背番号1を付けると聞いて、ふと28年前に現役を退いた“元大物ルーキー”のことを思い出した。  大久保美智男。1978年のドラフトで広島から2位指名を受け、宮城・仙台育英高から入団した。ちなみに65年からスタートしたドラフトで、1度だけ全球団が参加しなかったのがこの年である。巨人がドラフト会議前日、“空白の1日”を利用して江川卓と契約。連盟が選手登録申請を却下したため、巨人が翌日のドラフト会議をボイコットしたのである。

第615回 プロ野球「球界の官兵衛」は誰だ

「軍師官兵衛」。来年のNHK大河ドラマのタイトルだ。先日、仕事で黒田官兵衛の故郷・姫路に行くと駅に宣伝用の大きなポスターが貼られてあった。大河人気にあやかろうということか。  豊臣秀吉の軍師として知られる官兵衛には“戦の天才”のイメージがある。生涯50を超す合戦で、一度も負けなかったという“不敗伝説”も残っている。織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた時には中国地方に出兵中の秀吉に“大返し”の策を授け、秀吉の天下取りに貢献したとも言われている。

第614回 変人か先駆者か、四足走行で100M9秒台挑戦

 地上最速の動物とされるチーターはスピードに乗れば、ゆうに時速110キロを超えて走ると言われている。このチーターの走りを日夜、研究している珍しいアスリートがいる。四足走行「100メートル16秒87」のギネス世界記録を持ついとうけんいち(本名・伊藤健一)だ。

第613回 「課題は右の精度」山中の左はさらに輝く

 左ストレートは向き合った相手の右耳の横を通過しているように見えた。しかし、あろうことかメキシコ人は腰からキャンバスに崩れ落ちた。3日前のWBCバンタム級世界戦。王者・山中慎介が8ラウンドにチャレンジャーのアルベルト・ゲバラから奪った最初のダウンは、ある意味、9ラウンドのフィニッシュシーンよりも衝撃的だった。

第612回 画期的だった川上さんの“信賞必罰”管理野球

 V9がスタートする前、巨人には年間320万円の賞金枠があったそうだ。シーズン終了後、タイトルホルダーに一定の額がボーナスとして支払われた。「シーズン終了後じゃ意味がない。シーズン中に渡してやらんと……」。そう言って賞金制度を大胆に改めたのが、去る10月28日、93歳で他界した川上哲治さんである。

第611回 中日ドラフト2位・又吉、四国IL出身投手のジンクスに挑む

 日本初のプロ野球独立リーグ「四国アイランドリーグPlus」は、この秋、9年目のシーズンを終えた。記念すべき10年目を迎える前のNPBドラフト会議で、初の上位指名選手が誕生した。中日から2位指名を受けた又吉克樹(香川オリーブガイナーズ)である。

第608回 五輪がもたらすイノベーション

 納豆の日(7月10日)やバナナの日(8月7日)があることは知っていたが冷凍食品の日があることは寡聞にして知らなかった。  10月18日が、その日である。10は冷凍の「トウ」、18は冷凍食品の国際基準の管理温度マイナス18度に引っかけたものだそうだ。1986年に定められ、今年で28回目を迎える。

第606回 感動スピーチを裏付ける佐藤真海の挑戦心

 20年東京オリンピック・パラリンピック招致を決めたブエノスアイレスでの最終プレゼンテーションで、自身の体験をベースにした感動的なスピーチで大役を果たしたパラリンピック・走り幅跳びの佐藤真海が踏み切り足を健足の左足から義足の右足にかえたのは北京大会の後からだ。

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