東京五輪・パラリンピックが開催される2020年、この国はどんな姿になっているのだろう。 高齢化がさらに進んでいることは間違いない。前回、東京で五輪が開催された64年、全人口の1割未満だった高齢者(65歳以上)の数は、20年には3割前後に達するとみられている。
アルティメットという競技を、ご存知か? 格闘技ではない。フライングディスクを用いる米国生まれの団体競技である。 コートは100×37メートルだから、アメリカンフットボールより一回り小さめのサイズ。敵味方7人ずつに分かれ、エンドゾーン内でディスクをキャッチすれば得点になる。ルールはアメフトやバスケットボールに近い
アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピック射撃に出場した田口亜希は、得意の語学をいかすため大手船会社に入社した経歴からもわかるように、国際派かつ行動派のパラリンピアンである。今年3月、IOC評価委員会が来日した際には、パラリンピアンの代表として東京招致のプレゼンテーションを英語で行い、高い評価を受けた。
高校野球の勢力図が塗り替わる瞬間を見る思いがした。8月19日、準々決勝第1試合で岩手の花巻東が徳島の鳴門に5対4で逆転勝ちすると、続く第2試合、日大山形が高知の明徳義塾に4対3で競り勝った。花巻東は3回戦でも愛媛・済美を延長10回、7対6で振り切っている。 甲子園優勝経験のある四国の強豪3校が揃って東北勢の軍門に下った。随分、長い間、高校野球を見ているが、こんなことは記憶にない。
選手ではなく「選士」と呼ばれた。「打者は投手の投球を避けてはならない」と主催者側から厳命された。なぜなら「突撃精神に反する」からである。原則として選手交代も認められなかった。例外は選手がケガをした場合のみ。「選手は最後まで死力を尽くして戦え」。それがお上のメッセージだった――。
ボクシングの元IBF世界バンタム級王者・新垣諭は「消されたチャンピオン」と呼ばれている。消された、と書くと何やら物騒だが、彼は実在する。ただ、日本ボクシングの表の歴史から未だに抹殺されたままなのだ。
Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎(現日本サッカー協会最高顧問)が、「Jリーグのクラブは各県2つ。いずれ日本に100のJクラブがほしい」とブチ上げたのは、忘れもしない鹿島アントラーズのクラブハウスと練習グラウンドの完成を祝う記念式典でのことだから、Jリーグ開幕の4カ月ほど前である。
重要なのは誰を選ぶか、ではない。どう選ぶか、だ。ここをきちんと議論しない限り、永遠に球界のリーダー問題は解決しないだろう。 統一球の仕様変更問題で統治能力の無さを露呈した加藤良三コミッショナーに対し、さる19日、労組・日本プロ野球選手会が「不信任」を突き付けた。
この6月に全面改装された静岡・草薙球場の正面にあるモニュメントには「澤村 ベーブ・ルース Memorial Stadium」との文字が刻まれている。今から79年前の1934年11月20日、「全日本」のエース澤村栄治は「米国大野球団」の強打者たちを切り切り舞いさせ、監督のコニー・マックをして「サワムラをアメリカに連れて帰りたい」と言わしめたことは、よく知られている。
競技用シューズづくりの腕と知見と経験において、厚生労働省が認定する「現代の名工」にも選ばれた三村仁司(ミムラボ主宰者)の右に出る者はいない。現役時代、あの瀬古利彦(現DeNAランニング・クラブ総監督)が「ランナーにとってシューズは命の次に大切なもの。それを教えてくれたのが三村さん」と語っていたことを思い出す。
石原慎太郎と盛田昭夫が共著という体裁で出版した『「NO」と言える日本』がベストセラーになったのはもう四半世紀近く前のことだ。主に米国企業の欠点や技術立国ニッポンの優位性を論じたものだが、話は両国の国民性や文明論にまで及び、タイトルの刺激さも相まって多くの日本人が溜飲を下げた。後になって事実関係の誤りが指摘され、著書の価値は下げに転じたが、戦後の日本を貫いていた従米主義に一石を投じたことは間違いあるまい。
堀秀政という武将がいる。11月に公開予定の三谷幸喜監督の映画「清州会議」では人気俳優の松山ケンイチが演じることが決まっている。地味な武将に注目が集まるのではないか。 美濃で生まれた秀政は13歳で織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉の家臣となる。本能寺の変で主君・信長に弓を引いた明智光秀を討った山崎の戦いや九州征伐、小田原征伐などで武功をあげ、戦国時代の名将のひとりに数えられている。
「ボールが消えた……」。三振を喫した直後、神宮球場の通路で大毎の主砲・山内一弘は、うつろな表情を浮かべて、つぶやいたという。当時、パ・リーグ事務局にいたパンチョこと伊東一雄から後年、聞いた話。 1961年の夏、浪商高を全国制覇に導き、17歳で同校を中退して東映に入団した尾崎行雄は巨人とのオープン戦で長嶋茂雄を切り切り舞いさせるなどして脚光を浴びていた。
死者5人、逮捕者2千数百人。五輪開催予定都市から全土へと広がったデモは、鎮静化するまでに1週間を要した。 これは2020年夏季オリンピック・パラリンピック招致活動を行っているイスタンブールのことではない。12年夏季大会を成功させたロンドンのことだ。
オリンピックの実施競技に非ざるものはスポーツに非ず――。このところ、そんな空気が蔓延してはいまいか。 2020年夏季五輪実施競技の最終候補として8競技の中からレスリング、野球・ソフトボール、スカッシュの3つが生き残った。スポーツの大会にたとえれば、やっとの思いで準決勝を勝ち上がったようなもの。決勝の舞台は9月8日、ブエノスアイレスで開かれるIOC総会だ。ここで28競技が正式決定する。
成熟した大会として高い評価を得た2012年ロンドン五輪・パラリンピック。招致委員会会長を務めたのは、陸上の男子1500メートルで80年モスクワ、84年ロス大会を連覇した世界的な中距離走者セバスチャン・コーだった。旧ソ連のアフガン侵攻に抗議し、西側諸国の多くが背を向けたモスクワ大会にも「政治とスポーツは別」との信念を貫き通した。
Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎(現日本サッカー協会最高顧問)には、リーグ誕生前から折に触れてインタビューを行ってきた。1年目のシーズンが終わった直後だから93年の冬だ。「20年後、Jリーグはどうなっているでしょう?」と問うた。川淵は「20年後? フッフッフッ」と含み笑いを浮かべ、遠くに視線を投げるようにしてこう答えた。「まぁ日本における選手の供給源の実情を考えるとトップが16で2部が16、合計32チーム。これが望ましい姿かな」
桃から生まれた「桃太郎」ほど日本人に愛され、親しまれているおとぎ話は他にあるまい。道中で遭遇したイヌ、サル、キジを従え鬼ケ島に鬼退治に行き、颯爽と宝物を持ち帰る。絵に描いたような勧善懲悪の物語である。
「これは僕の人生観なんだけどな」。根本陸夫はギロッと目をむき、未熟なインタビュアーの表情が強張っていると見るや、一転、険しい視線を解いて諭すように言った。「人間、墓場には何も持っていくことができない。だったら次々と高い次元を目指して挑戦していった方が、どれだけ楽しいか。死ぬ前に“オレの人生も悪くなかった”と思えれば、もうそれで十分だよ」
伊東浩司が10秒00を叩き出したのは1998年12月のことだ。バンコクアジア大会準決勝が、その舞台だった。実はフィニッシュ直後のゴールタイマーが示した数字は「9.99」。会場がひとしきり沸いた直後に発表された正式タイム […]
清原和博が西武からFA宣言した時のことだ。当時、阪神の監督だった吉田義男は、交渉の席で「縦じまのユニホームを横じまに変えるぐらいの意気込みで来ている」と力説して、虎党の一部からヒンシュクを買った。 吉田にすれば、巨人入りを阻止するための“殺し文句”だったわけだが、少々、言葉が過ぎた。縦じまはタイガースのアイデンティティーそのもの。もし清原が「じゃあ、横じまでお願いします」と返したら、球団は、いったいどうしていたのだろう。シマウマのようなユニホームでは、戦闘意欲も湧くまい。
チャールトン・ヘストン主演の「パニック・イン・スタジアム」はスポーツ愛好家にとっては“白昼の悪夢”とでも呼ぶべき後味のよろしくない映画である。 とある日曜日。場所はロサンゼルスのメモリアル・コロシアム。10万人の大観衆をのみ込んだNFLのラムズ対コルツの試合中にひとりのテロリストが侵入する。ライフルを乱射するテロリスト。パニックと化すスタジアム。無慈悲な銃口の前に、人々は為す術がない。阿鼻叫喚の地獄絵図とは、このことだ。
プロ野球公式戦のスケジュールは同一球団との3連戦をベースに成立している。3つのうち2つを勝てば勝率6割6分7厘。かなりのハイアベレージだ。 昨季の巨人は3・4月、9勝13敗2分けと出遅れながら、終わってみれば86勝43敗15分け、勝率6割6分7厘という好成績でリーグ優勝を果たした。2位中日に10・5ゲーム差をつける圧勝だった。
都市対抗野球の予選が始まる前に、どうしても会っておきたい人物がいた。社会人野球のホンダに所属する西郷泰之である。 彼は“ミスター社会人”と呼ばれている。
金融緩和ならぬタイトル緩和である。長い間、WBA(世界ボクシング協会)とWBC(世界ボクシング評議会)の2団体しか認めてこなかったJBC(日本ボクシングコミッション)がWBO(世界ボクシング機構)、IBF(国際ボクシング連盟)を相次いで承認し、加盟した。