ベースボールを題材にした数ある映画の中で、最も好きなのはケビン・コスナー主演の「さよならゲーム」である。ベテラン捕手と若手投手と妖艶な女性が織りなすスリリングでユーモラスな三角関係。舞台がマイナーリーグだけに、どこか切なく、ほろ苦く、人間臭い。メジャーリーグを扱った映画では、こうはいかない。
国内で18のゴルフ場を運営する太平洋クラブとその子会社が東京地裁に民事再生手続きの開始を申請したというニュースを一抹の寂しさとともに聞いた。
6日後の1月31日は“東洋の巨人”としてマット界に君臨したジャイアント馬場(本名・馬場正平)さんの13回目の命日だ。もし馬場さんが生きていたらおとといで74歳になっていた。
野球殿堂入りを果たした213勝投手・北別府学(元広島)の後年の最大の武器は「インスラ」だった。右バッターのインコースへのスライダー。バッターが腰を引いた時点で勝負ありだった。江川卓や小松辰雄のような空振りをとれるスピードボールを持たない北別府にとって、この「インスラ」の精度こそはピッチングの生命線だった。
名言が飛び出したのは北京五輪3位決定戦前のミーティングの場だった。つまり2008年夏のことだ。銅メダルをかけた試合への思いを、先輩から順に口にしていった。程なくして29歳(当時)の澤穂希にスピーチの出番が回ってきた。「ここまで来て、もう何も言うことはありません」。シャイな澤らしい第一声だった。しかし、いつもとはここからが違った。「苦しいのは皆一緒。もし苦しくなったら私の背中を見て。そして、私と一緒に頑張ろうよ」
「待て」。柔道のルールに則り、いったん仕切り直してもいいのではないか。
ラグビー日本代表ヘッドコーチに来年4月に就任するサントリーサンゴリアスGM兼監督、エディー・ジョーンズの口からヤンキースの守護神マリアーノ・リベラの名前が飛び出したのには驚いた。博識とは聞いていたがMLBにも造詣が深いとは……。 リベラと言えばMLBを代表するクローザー。通算603セーブはMLB史上最多である。41歳で迎えた今季も44セーブをマークし、健在ぶりをアピールした。
浮かんでは消え、消えては浮かぶ。MLBの気紛れにプロアマ含めたこの国の野球界は、どれだけ振り回されてきたことだろう。 海の向こうで、またぞろインターナショナルドラフトの導入が浮上してきた。MLB機構がインターナショナルドラフトの実現性を話し合う委員会を設置し、来年早々から協議に入るというのだ。
310勝投手の別所毅彦は座談の名手だった。話術が巧みで声に抑揚がある。しかもエピソード満載ときている。思わず「それ、本当ですか?」と聞き直したことも一度や二度ではない。
携帯電話の着信音が鳴ったのは日曜日(4日)の夕刻だった。いま成田に着いたばかりなのだという。「勝ちました。タイトルを取りました」。独特の低音が弾んでいた。
「川上(哲治)さんは陸軍内務班のような野球をする」。陸軍内務班と聞いても若輩者の私にはピンとくるものがない。きっと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのだろう。白髪の老紳士はニヤリと笑って、私にこう助け舟を差し向けた。「いや、悪かった。アンタたちに戦争の話をしても、そりゃわからんわな」
巨大な風車に突進するドン・キホーテと言えば清武英利氏は気を悪くするだろうか。その言動、行動の無謀、無粋については、ここでは敢えて問わない。重要なのは「清武の乱」が今後のプロ野球に何をもたらせるのか、その一点である。
おそらく全てのスポーツ紙が全文を掲載していたのではないか。解任された巨人・清武英利球団代表兼GMの声明文も、それに反論するかたちで出された渡邉恒雄球団会長の談話も隅の隅まで読んだ。あれっ、と思った箇所がひとつある。
懐かしい名前が名門ロサンゼルス・ドジャースの新オーナー候補に浮上してきた。ピーター・オマリーだ。 オマリーは1970年、父ウォルターの後を受けてオーナーに就任。それから28年にわたって球団を経営してきたが、97年に「もはや1ファミリーが球団経営をする時代ではない」と言って、ニューズ・コーポレーションの総帥ルパート・マードックに球団を売却し、メジャーリーグの表舞台から姿を消した。
死因が急性呼吸不全と聞いて胸が潰れる思いがした。どんなに辛かったことか……。7日に福岡市内で急死した鳴戸親方(元横綱・隆の里)と言えば糖尿病患者として知られたが、それよりも、もっと深刻なのがゼンソクと心臓病、それに睡眠時無呼吸症候群(SAS)だった。
千葉ロッテのエース成瀬善久は昨季、パ・リーグを制した福岡ソフトバンクに対して全く歯が立たなかった。レギュラーシーズンでの対戦成績は0勝4敗。埼玉西武とのCSファーストステージ初戦に先発した彼は中4日でソフトバンクとのファイナルステージ初戦のマウンドに立った。
失敗もあれば成功もある。後悔もあれば自慢もある。プロ野球のスカウトの仕事は、単に選手の品定めだけにとどまらない。いざドラフト指名となると選手や家族、関係者と接触し、交渉もすれば根回しもする。時によっては敵を欺き、味方すら煙に巻く。権謀術数もスカウトには必要な能力のひとつだ。
元東北楽天監督の野村克也といえば「語録の宝庫」だ。数々の名言を残している。その中で最も印象に残っているのがこれ。 「人間は無視、称賛、非難という段階で試されている」
今から50年ほど前の話だ。横綱・大鵬がライバルの柏戸を圧倒し始めると玄人筋から批判が起こった。いわく「大鵬には型がない」 これに真っ向から反論したのが師匠の二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)だった。「型がないのが、大鵬の型だ」
不可解な監督解任劇はメジャーリーグにおいても珍しいことではない。たとえば1970年代最強のチームと呼ばれたレッズの名将スパーキー・アンダーソンは78年オフ、日米野球から帰国直後、突如、解任された。スパーキーが来日している間にクーデターは水面下で着々と進行していたのだ。 二人三脚でチームを強くした信頼できるパートナーだったディック・ワグナーから直々に「クビ」を通告された時のショックは察して余りある。「ブルータス、お前もか!」という心境ではなかったか。
東北楽天の松井稼頭央は、NPBにおいて唯一、本塁打を30本台に乗せたことのある(西武時代の02年=36本、03年=33本)日本人スイッチヒッターである。
低反発の統一球の導入により、今季のプロ野球はホームラン数が激減している。球界全体で前年比マイナス約40%。巨人に至っては前年比マイナス約53%だ。 バットの先っぽでもフェンスオーバーする昨季までの“ホームラン・バブル”には閉口するしかなかった。しかし、いきなり前年比マイナス40%というのはNPB幹部も想定外だったのではないか。
PK戦になると、やにわに姿を消すサッカーの監督には驚いたが、自軍の試合を一切見ない野球のGMがいると知った時の衝撃はそれ以上だった。 その理由が振るっていた。 「自軍のプレーを生で見てしまったら、つい頭に血がのぼって、野球科学を忘れてしまいかねない」。その男にとって野球は「フィールド・オブ・ドリームズ」のような感傷的なものではなく、すぐれて確率的かつ計略的なものなのだ。
主に広背筋のことをボクシングの世界では「ヒットマッスル」と呼ぶ。パンチ力の源とされている。 「ヒットマン」の異名を取ったトーマス・ハーンズ(米国・元5階級王者)にインタビューしたのは、今から21年前のことだ。胸板は薄かったが、脇から背中にかけての筋肉の盛り上がりは尋常ではなかった。
熱戦が続く韓国・大邱での陸上世界選手権。ファイナルに進出できなかったものの、男子400メートルに出場した義足ランナー、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)には大きな拍手が送られた。 周知のようにピストリウスは先天性の身体障害により、生後11カ月で両足のヒザから下を切断する手術を受けた。彼のアスリート生活を支えているのは炭素繊維製の競技用義足。ブレードランナーの異名をとる所以だ。