第350回 “教えながら教わる”台湾で成長した渡辺監督

「洋行帰り」に箔がつくのは何もビジネスの世界に限った話ではない。野球界でもコーチ留学、コーチ修行といえば、取りも直さずそれは渡米を指す。翻って韓国球界や台湾球界で禄を食んでいると聞くと、つい「都落ち」という言葉を思い浮かべてしまう。埼玉西武・渡辺久信監督の成功は、球界がそうした偏見を捨て去るきっかけになるのではないか。

第346回 「分析されている」意識弱かった星野ジャパン

 日本のスコアラーの技術レベルは、ある意味、世界一かもしれない。先頃、NHKが「とどかなかったメダル 〜星野監督が語る北京での戦い〜」という番組を放送した。三宅博スコアラーを中心としたロジスティックス部隊の奮闘をサイドストーリー的に描いた特集だが、彼らがとってきた情報は驚くほど正確で、恐ろしいほど精緻だった。しかし、残念ながら星野ジャパンがそれらを最大限に生かし切ることはできなかった。

第343回 グルジア侵攻に“及び腰”IOC

 モスクワから南南東の方角へ約2時間半。切り立った短剣のようなカフカスの山々を越えると、赤茶けた大地が見えてくる。  私が初めてグルジアを訪れたのは1989年2月のことだ。当時はソビエト連邦を構成する15の共和国のひとつ。別の顔である格闘技王国の実相を探るのが目的だった。

第342回 清水が世界王座を「与えられる」日まで

 報われない死闘を演じ続けたボクサーがいる。元東洋太平洋バンタム級王者の村田英次郎だ。  世界王座に4度挑み、2分け2敗。2度のドローは村田に軍配が上がってもおかしくない試合だった。紙一重の差に泣き続けた。引退後、村田は私にこう語った。「これが私の運命ですよ。自分がいくら強くたって、それ以上に強いチャンピオンがいたら世界はとれない。それがボクシングですよ」

第340回 “英雄原点”社会人の誇りに「野茂賞」を

 もう随分前の話だが、現役引退を表明した野茂英雄に「野球をやっていて一番うれしかったシーンは?」と聞いたことがある。メジャーリーグでの2回のノーヒッターか、はたまたドジャース時代の2回の地区優勝か、あるいは近鉄時代の思い出か……。返ってきた答えは意外なものだった。

第339回 新鮮に感じた2人の老将の振る舞い

 会釈をしない。相手の目を見て話さない。相手が近くにいるのに、わざわざメールで用件を伝える。そんな若手社員が増えているという話を、ある企業の人事担当者から聞いた。「通信機器が発達するにつれ、人間本来が持つコミュニケーション能力は逆にどんどん劣化しているような気がする」。そうも言った。時代の風潮といえばそれまでだが、なんだか寂しくもある。

第338回 「エコ・ベースボール」の実現を

 シチズンホールディングスが「環境のために時間短縮すべきこと」と題して行ったアンケートによれば1位はネオンやライトアップの点灯時間(49%)、2位は24時間営業(36%)、そして3位は国会審議(35%)――。プロ野球の試合時間も11位(8.5%)に顔を出していた。要するに「長過ぎる」ということだろう。

第337回 W杯最終予選 初戦アウェーがカギ

 43の国と地域が参加した南アフリカW杯アジア地区予選で、最終予選にコマを進めたのは日本、豪州、バーレーン、ウズベキスタン、カタール、韓国、イラン、サウジアラビア、北朝鮮、UAEの10カ国。W杯出場経験があるのはこのうち7カ国だが、組み分け抽選の結果、A組に入ったのは日本と豪州のみ。この事実ひとつをとっても日本はクジ運に恵まれたといえる。W杯未出場国が悲願をかなえるのは、我が日本代表の苦闘の歴史が物語るように容易なことではない。

第335回 名字で喜ばせる野球人であれ

 広島カープには、古くから「3文字の姓のピッチャーは大成する」との言い伝えがある。身長1メートル67の小柄ながら通算197勝をあげ「小さな大投手」と呼ばれた長谷川良平(故人)。2リーグ制以降、3度のノーヒッター(うち1度は完全試合)を達成した唯一の投手で、75年の初優勝の立役者でもある外木場義郎。沖縄出身初のプロ野球選手で巨人キラーの異名をとった安仁屋宗八。球団史上初の200勝投手で、沢村賞に2度も輝いた北別府学。近年では史上6人目となる100勝100Sを達成した佐々岡真司。

第334回 もう「フンドシ」の時代には戻れない

 米国においてモータリゼーションが始まったのは20世紀初頭である。これにより市民生活の向上や産業振興がはかられたが、当初から将来の環境汚染や広域犯罪の発生、事故の多発を懸念する声が相次いでいた。実際、そうした懸念のほとんどが現実のものとなった。しかし、だからといって再び馬車の時代には戻れない。歴史上、人類が手に入れた最先端の科学技術を手放したことは一度もない。

第333回 「FWはロマンチスト…」思い出深い長沼語録

 いつも毅然としておられた。しかし、その振る舞いは決して居丈高ではなかった。古武士のような人だった。しかし頑迷固陋ではなかった。  手許に1冊のノートがある。表紙には「長沼健メモ」。2日に死去したサッカー協会最高顧問・長沼健氏とのやりとりが綴られている。語録の一部を紹介しよう。

第332回 三宅義行、娘に救われた人生

 メキシコ五輪重量挙げフェザー級銅メダリスト三宅義行が噴門(食道から胃への入り口)にできた潰瘍を切除したのは32歳の時だ。「(メキシコで)銅メダルを獲った以上、あとは金しかない。兄(義信)は金を2つ(東京とメキシコ)も獲ってる」。バーベルの重量以上のプレッシャーが三宅の双肩にのしかかった。「もっと練習を積みたいのにケガもあって思うような練習ができない。そうしたストレスが原因で胃に激しい痛みが走るようになったんです。手術に踏み切る前の3年間は痛みで眠れない日々が続きました」

第328回 時代に逆行する“最高峰に聖火”

「当日は大雨だったこともあり、走り終わると選手たちのストッキングが真っ黒に汚れていました。これは目に見えないものですから、具体的にどの程度かは分かりませんが、日本よりも空気が悪いのは間違いありませんね。ただ本番でマスクして走るわけにもいかないし…。ぜんそくなど呼吸器に疾患を持つ選手にとっては厳しい環境でしょうね」。中国電力の坂口泰監督の感想だ。

第327回 高地規制がサッカーの魅力を奪う

 確かに医学的な見地に立てば、そういう判断になるのかもしれない。しかし危険だからという理由で規制を設けるのは、むしろサッカーの未来を考える上でマイナスになるのではないか。ボールひとつあれば、地球上のどこでも誰とでも楽しめるのが、このスポーツの最大の魅力ではなかったのか。

Back to TOP TOP