過失割合という言葉がある。主に交通事故における過失の度合いを表す際に使われる。野球においても同じことが言える。低迷の責任を負うべき割合はフロントが何割で監督やコーチが何割で選手が何割か。アバウトではあっても算定基準のガイドラインくらいは作るべきだ。
1970年代から80年代にかけて、日本のリングで猛威を振るったスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディ(故人)と名勝負を展開したジャンボ鶴田さんが世を去って今日が9回目の命日だ。享年49。
映画「オールド・ルーキー」の主人公ジム・モリスは2年間で、わずか15イニングしか投げていないにもかかわらず、メジャーリーグで最も偉大なピッチャーのひとりである。
20年近くも前だが阪神電鉄の広報から抗議を受けたことがある。タイガースは阪神グループの単なる広告塔ではない。グループの基幹事業である。ならばもっと強化資金を投入したり、有能な人的資源を球団に送り込むべきだ…。そんな記事を月刊誌に書いた。電鉄本体の小規模さを強調しようとするあまり、つい筆が滑った。
かつて「日本代表」のことをラグビーでは「ジャパン」と呼んでいた。バレーボールは「全日本」だった。 日の丸を背負って国際舞台で戦うチームが、競技を問わず「日本代表」に統一されたのはいつくらいか。私の記憶ではハンス・オフト率いるサッカー日本代表が米国W杯出場を目指したあたりからだ。Jリーグ誕生を機にサッカー人気は瞬く間に列島を覆いつくし、その頂点に位置する「日本代表」はスポーツにおけるナショナル・ブランドとして不動の地位を得た。
「あれをやられると、もうスポーツではなくなってしまう。僕たちは戦争をやっているわけじゃないんですから」。温厚な男が不愉快そうな表情を浮かべ、珍しく語気を強めた。
連覇を達成したWBCで侍ジャパンが記録した盗塁数は9試合で11。1試合平均1.22。この程度かと思われるかもしれないが、これは出場16チーム中最多だった。短期決戦では空中戦よりも地上戦、機動力がいかに重要であるかを改めて証明した。
ひとつの世界に長い間どっぷり漬かっていると、どうしても視野が狭くなる。その弊害を取り除き、活力の創出や双方の相乗効果を狙って始めたのが、企業間の「異業種交流」である。最近では銀行の総合研究所やコンサルティング会社が仲介となり、新規事業の立ち上げや新商品の開発に一役買っている。
水戸黄門が最初から葵の御紋の入った印籠を取り出したらドラマにならない。耐えて耐えて耐え忍ぶから見る側は最後の最後の場面で留飲を下げることができるのだ。
プエルトリカンと聞いて、真っ先に思い出すのはWBC、WBAで3階級を制覇したウィルフレド・ゴメスだ。WBC世界ジュニアフェザー(現スーパーバンダム)級で17連続KO防衛という途轍もない記録を打ち立てた。ニックネームはバズーカ。
冬のオリンピックと言えば北海道勢の独壇場だ。先のトリノ五輪では全出場選手のうち約4割を北海道出身者が占めた。冬のオリンピックで、これまで日本は16個の金メダルを獲得しているが、そのうちの9個が北海道出身者によってもたらされている。
WBC東京ラウンド、日本と韓国は最大で2回戦う可能性がある。韓国がアジアで最大のライバルであることは言を俟たない。
私が小学生の頃だから、ちょうど東海大相模の監督に就任し、同校を初優勝に導く直前のことではないか。スポーツニュースでの一場面。「神社に何をお祈りしたのですか?」。インタビュアーの質問に、監督の原貢は「いや、なにもお祈りなんかしていない。“優勝するから、神様ぜひ見ておいてください”と前もって報告しにきたんですよ」と平然と答えたのだ。
バラク・オバマ米国大統領の報酬が40万ドル(約3700万円)と聞いて「安い」と思ったのは私だけだろうか。そこでオバマ大統領と同程度の報酬を得ているプロ野球選手を探すと小谷野栄一(北海道日本ハム)、長谷川昌幸(広島)…。外国人ではチェン(中日)、シーボル(広島)らがそうだ。
数夜にして東京都の約1.6倍の面積を焼き尽くしたというのだから尋常ではない。テレビが映し出す絵は、さながら阿鼻叫喚の地獄絵図だった。 7日夜、オーストラリア南東部ビクトリア州で森林火災が発生し、現在までに200人近い死者が出た模様。ケビン・ラッド首相は「まるで(原爆投下直後の)ヒロシマのようだ」と語った。関係筋によると放火の疑いもあるという。南半球は真夏。記録的な猛暑と乾燥した空気が火の手を拡大し、今もまだ燃え続けている。
何やら「盗人に追い銭」といった趣だ。大麻力士に500万円超の退職金。どう考えても道理に合わない。それとも、あれはかたちを変えた“手切れ金”なのか。 さらに驚いたことに大麻問題で降格していた親方が半年もたたないうちに昇格とは……。理事長をはじめ役員報酬のカットもなし。よく「角界の常識は世間の非常識、世間の常識は角界の非常識」というが、ここまでくると、もはや空いた口が塞がらない。日本相撲協会は鈍感にも程がある。
スマートパワー――。バラク・オバマ米国新大統領が好んで使う言葉だ。もともとはオバマ政権下で駐日大使に就任見通しのハーバード大ジョセフ・ナイ教授、リチャード・アーミテージ元国務副長官らが提言した概念で外交や情報活動など軍事力(ハードパワー)に頼らない力を指すものだという。
時ならぬ朝青龍人気に沸く大相撲初場所。ご同慶の至りと言いたいところだが、この人気、いつまで続くかわからない。むしろ相撲界にとっては、こちらのほうが朗報だろう。
第2回WBCの日本代表候補に選出されているマリナーズの城島健司といえば球界きっての“雀豪”として知られている。佐世保の実家もかつては雀荘だった。 その城島が「麻雀をすれば(投手の)性格がわかる」と語っている。奥の深い発言だ。雀卓を囲むことで代表候補に選ばれている投手たちの性格を把握しようという寸法だ。
最初に断っておくが、名所旧跡はできるだけ大切に保護しなければならないと私は考えている。しかし、果たして土地は死者だけのものなのか。生者にモノを言う権利はないのか。敢えて挑発的な物言いをしたのは名所旧跡を前にするとスポーツはあまりにも無力だからである。
「どんな人間にも、一生に一度、必ずチャンスが訪れる」。それが東北楽天・野村克也監督の口ぐせである。「問題はそれをモノにできるかどうか…」 これは自身の経験からくるものなのだろう。南海入団後2年間、野村は1軍のゲームにはほとんど出場することができず、戦力外通告を受けたこともある。ところが3年目のオープン戦でチャンスを掴む。主戦捕手の松井淳が肩痛を理由に試合を欠場。代役として出場した野村は攻守に溌剌としたプレーを見せ、レギュラーの座を奪い取ってみせたのである。「だから、たとえオープン戦であろうとも僕はケガをしても絶対に休まなかった。今度は逆の立場になるんですから。その危機感だけでやっていたようなもんですよ」
テレビの歴史は、そのままプロレスの歴史でもある。そしてプロレスといえば力道山だ。あの長嶋茂雄がプロ入りの際のインタビューで「憧れの人は力道山」と答えたのは有名な話。空手チョップを振るって観衆を鼓舞する姿に感銘を受けたというのだ。 1954年2月、蔵前国技館で行なわれたシャープ兄弟との対決には、力道山見たさに2万人の観衆が新橋駅前の広場に詰め掛けた。街頭テレビを観るためだ。国民の多くは力道山を通してテレビという“文明の利器”を知ったのである。
「男女共同参画社会基本法」が制定されたのは平成11年6月のことだ。その骨子として男女は「社会の対等な構成員」として「自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保」されなければならない、とうたわれている。附帯決議ではDVに対しても喫緊の課題として取り上げられ「あらゆる形態の女性に対する暴力の根絶に向けて積極的に取り組むこと」との一文が盛られている。
20世紀は「自動車の世紀」であったとも言える。米国においてモータリゼーションが始まったのは1900年代初頭。やがてこれは全世界に広がり、市民生活の向上や産業振興がはかられた。 本格的な自動車レースも20世紀になって産声をあげた。1906年、フランスで初の四輪グランプリである「ACFグランプリ」が開催され、戦後、規格が整えられてF1へと発展していく。1906年といえばホンダの創業者・本田宗一郎が誕生した年でもある。不思議な因縁を感じずにはいられない。
評論家の堺屋太一によれば、世襲の国会議員は米国では10パーセント台だが、日本では30パーセント、自民党に限ると50パーセント近くになるという。ちなみに麻生内閣の世襲率は61パーセントだ。