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西本恵「カープの考古学」第43回<カープ初年度の苦難編その6/選手集めと資金集めの謎>

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 カープ創設1年目のシーズン中に、二軍選手が一斉に大量解雇となったことは、前回でお伝えした。資金が回らない球団にあって、試合に出場しない選手を大量に抱えておくことはできなかったのだ。先の見えない球団運
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西本恵「カープの考古学」第42回<カープ初年度の苦難編その5/経営難から二軍選手を大量解雇>

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 カープ球団創設の昭和25年は、出だしでつまずいたものの、鯉昇りの季節から6月を勝ち越した。それも、この年の首位争いをしている松竹、中日、巨人を相手に戦い、勝ち星を納めていくのである。寄せ集めとされた
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西本恵「カープの考古学」第41回<カープ初年度の苦難編その4/カープ強し。セ3強と互角の勝負>

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 ここ何回かのカープの考古学では、カープが創設された最初のシーズンにおいて、わずか3カ月であるが、躍進する時期があったことをお伝えしてきた。 確かな試合運びで、上位チームとの対戦にもひけをとらず、勝ち
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西本恵「カープの考古学」第40回<カープ初年度の苦難編その3/3カ月の躍進を支えた影の功労者>

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 カープ創設の昭和25年、この最初のシーズンは苦労が絶えなかった。しかし、石本秀一監督は、シーズン中でもチーム浮上のきっかけつかむため、選手補強の手を緩めてはいなかった。いついかなるときにも、勝つこと
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西本恵「カープの考古学」第39回<カープ初年度の苦難編その2/若鯉が”海賊殺し”に”鯨”も退治!>

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 カープ球団が創設された最初のシーズン(昭和25年)、チームはなかなか勝ち星に恵まれず負け続ける中で、下を向かずに孤軍奮闘していたのが投手・長谷川良平だった。打てない、守れないカープの中で、4月27日
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西本恵「カープの考古学」第38回<カープ初年度の苦難編その1/”鯉の季節”の秘密に迫る>

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 カープ創設初年度はなかなか勝てなかった。白石勝巳がチーム初のホームランを福山市三菱球場で放ったものの、試合は力及ばす惜敗した。また初の満塁ホームランは前回に記したように阪田清春が甲子園球場で記録した
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西本恵「カープの考古学」第37回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その5

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 広島カープの草創期は、どたばた続きであった。球団経営の主体となる親会社もなく、広島県をはじめとし、県下の五市が主体となって出資するという形態から、手さぐり状態の経営で、右往左往するばかり。さらに他球
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西本恵「カープの考古学」第36回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その4

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 カープ球団が創設されて初の公式戦、西日本パイレーツ戦は福岡市の平和台球場で行われ、リードしていながらの逆転負けを食らった。続いて第2戦の国鉄スワローズ戦もあと一歩及ばず、1点差負け。さらに、第3戦は
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二宮清純「カープと広島、初優勝までの道のり」(後編)

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 チーム解散に待ったをかけたのが初代監督の石本秀一である。石本は県内に後援会組織をつくり、募金の領収書代わり広島野球倶楽部の株券を発行した。本拠地・広島総合球場前に酒樽を設置すると、400万円もの大金
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西本恵「カープの考古学」第35回<球春到来--カープ初のシーズンに向かう>その3

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 今年で創設71年目、広島カープの歴史の起点は昭和25年である。戦後復興期真っただ中にあって、ないない尽くしの広島県民・市民の心を満たしたものは新球団カープであった。戦後の歩みを進める県民の唯一の心の
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