カープ・アイ
昭和24年の年末のことだ。広島カープ最初のシーズンに入る前にファンに朗報が届いた。巨人軍の主力選手であり、逆シングルの名手・白石敏男(のちに勝巳)がカープに移籍するというのだ。カープ誕生前夜ともいえる結成時に、選手の中 […]
野球がオリンピックの正式競技に採用されたのは1992年バルセロナ大会からだが、日本はまだ一度も金メダルを獲得したことがない。 しかし、公開競技の1984年ロサンゼルス大会では優勝を果たしているのだ。それも決 […]
球団創設初年度の開幕に向け、昭和24年オフ、カープ初代監督・石本秀一の熱心な選手集めが続いていた。 自治体からのわずかながらの出資金を獲得資金とし、さらに自身の人脈もフルに活用した。戦前の職業野球時代の剛腕投手・中山正 […]
広島カープの初代監督に就任する石本秀一の生きざまを前回まで10回にわたり綴ってきたが、石本の人生経験が草創期のカープやのちのチーム運営に有形無形の礎となって生きていることは間違いない。とりわけ前回で紹介したが、広島商業 […]
日本の“忍者”はメジャーリーグ(MLB)でも成功するのか!? 広島は11月8日、菊池涼介内野手のポスティングシステムを利用してのMLB移籍を容認したことを発表した。 <この原稿は2019年12月2日号『週刊大 […]
アメリカでの邦人チームとの試合を8勝2敗3分で終え、昭和6年8月22日、サンフランシスコの港を出た広島商業(以下、広商)野球部一行が次に向かったのはハワイである。ハワイへの船旅は7日間に及んだ。石本秀一ら広商一行は総重 […]
広島商業(以下、広商)は昭和4年と5年の夏の甲子園大会で優勝し、さらに昭和6年春も制覇した。そのセンバツ大会優勝の褒賞旅行としてアメリカ遠征が与えられ、遠征中は日本からの移民が多かった西海岸沿いの都市の邦人チームと試合 […]
監督は大きく2つのタイプに分けられる。育成型と勝負師型だ。前者の典型が大毎、阪急、近鉄と3球団でリーグ優勝を果たした西本幸雄(故人)だ。厳しい指導で無名の選手を育て上げた。 しかし、日本一は一度もない。生前 […]
前回に引き続き、石本秀一監督率いる広島商業(以下、広商)ナインのアメリカ道中の話である。石本と広商一行は昭和6年7月21日から、約1カ月半に渡る北米遠征を行い、試合漬けの日々を送った。明治、大正の時代から大国アメリカに […]
カープの天敵といえば、横浜DeNAの4年目のサウスポー今永昇太だ。 今季の対戦成績は以下のとおり。4月12日 先発 9回無得点 0対6 負け4月19日 先発 7回無得点 2対1 勝ち(敗戦投手スペンサー・パットン)5 […]
石本は母校・広島商業(以下、広商)野球部の監督を務め、4度の全国優勝を飾り、広商の名声を全国に広め、名実共に日本一の監督となった。この昭和6年春、中等野球選抜大会(甲子園)を制覇した際、広商野球部にある褒章が与えられた […]
“大魔神”の異名で恐れられた元横浜のクローザー佐々木主浩が全盛期の頃の話である。当時の巨人監督・長嶋茂雄は「ベイとやる時は8回まで」と事あるごとに語っていた。それまでに攻略しなければ、勝ち目はない、ということである。&n […]
石本が野球において神の境地といえるものを感じられるようになり、試合を左右する目に見えない何かを求めるようになったのは、広島商業(以下、広商)の選手時代から監督時代を通じてであった。野球の神様が微笑む瞬間を精神力で引き寄 […]
交流戦は5割で乗り切れば御の字と考えていたが、まさか5勝12敗1分けとは……。勝率2割9分4厘。 それ以上に誤算だったのが、交流戦中の貧打である。交流戦がスタートするまで、カープはリーグ2位の打率2割6分と […]
カープ初代監督の石本秀一、彼の青年期には不遇のときも少なからずあった。石本自身の大きな後ろ盾でタニマチでもあった呉市の財閥、澤原家からのお金目当てに飲み食いする慶應義塾大学野球部に嫌気がさしたことは前回で書いたとおり。 […]
2017年の第4回WBCで侍ジャパンを率いた小久保裕紀は通算2041安打、413ホームランの、平成プロ野球を代表する右の強打者である。ホークスとジャイアンツで4番を打った。 <この原稿は2019年6月7日号『 […]
カープ初代監督に就任する石本秀一の人生は、波乱万丈の連続であった。親からの反対を振り切って広島商業に進学したのは前回で述べた。その後の大学進学においても騒動が起きたのだが、これは石本が「野球の神童」と呼ばれるほどの名選 […]
山口翔のプロ初登板を見ましたか? 5月7日の中日戦。試合自体は、中日・大野雄大に3安打完封を許し、0-6といいところ無く敗れたので、見るべきものといえば山口の初登板くらいだった。 山口は熊本工出身の2年目右 […]
カープ初代監督である石本秀一本人のエピソードに触れるのは、今回で三回目となる。前回は石本個人の経済状態について書いた。いわゆる懐具合だ。プロ野球で監督やコーチをしながら、企業の株式を定期的に買い続けることで、財を蓄えて […]
菊池涼介はこう言ったそうだ。「この敗戦を生かすも何も、やるしかない」(「日刊スポーツ」4月11日付) まったく、その通りだ。 4月10日の東京ヤクルト戦は、無惨な結果に終わった。思い出すのも不愉快でしょうが […]
巨人が開幕から飛ばしている。4月3日現在、4勝1敗。始まったばかりだがセ・リーグの首位だ。 「敵地に乗り込んでの広島との3連戦。2勝1敗と勝ち越したのが大きかった。原辰徳監督は“これで苦手意識が払拭できた”と […]
終戦から4年が経った昭和24年秋、広島にプロ野球チームが誕生した。しかし原爆から復興最中の広島において、球団を抱える余裕のある会社などはなかった。カープ球団は親会社のないまま創設に向かい、広島県民や市民の期待を大きく背 […]
オープン戦が始まって、驚くことがけっこうあった。 まず、3番レフト坂倉将吾。3年目を迎える坂倉が期待の好打者であることはわかっている。体もがっちりしているし、たしかにスイングも鋭い。 しかし、いきなり3番で […]