広島カープ

西本恵「カープの考古学」76回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件その8/広島ファンのすべてを背負った森田よし子>

 昭和27年3月、カープは3年目の開幕を前に、絶体絶命の危機に立たされていた。名古屋軍がエースの長谷川良平を引き抜こうとかくまったため、帰省先の名古屋から広島に戻っていなかったのだ。その危機の中、長谷川を連れ戻そうと、長 […]

西本恵「カープの考古学」75回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件その7/肝っ玉女将さんの登場で事態は一変>

 カープ創設3年目、昭和27年のシーズンを前にカープはエース引き抜き事件に遭い、一大危機を迎えていた。2月のキャンプに入った中でも、エースの長谷川良平は、自身の故郷である愛知県に帰省したまま、広島に戻る気配を見せず、連絡 […]

西本恵「カープの考古学」第74回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その6/名古屋軍の執念>

 カープは、3年目のシーズンインを控え、さまざまな問題に襲われていた。その一つが同じセントラル・リーグの名古屋軍による、エース長谷川良平の引き抜き事件であり、もう一つは、プロ野球1リーグ化へ向けた動きである。ただ、この1 […]

西本恵「カープの考古学」第73回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その5/影の男・小野稔とは!?>

 昭和27年の年明けは、カープ球団創設3年目のシーズンであり、エース引き抜き事件にあえぎ、苦しんでいた。前年の暮れからエース長谷川良平は、自身の生まれ故郷の愛知県にある名古屋軍(後の中日ドラゴンズ)に引き抜かれるのでは、 […]

西本恵「カープの考古学」第72回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その4/エースをあやつる黒幕とは!?>

 カープの草創期は苦難続きだった。2年目のシーズンを終えた年末から年始にかけては、チーム編成において絶体絶命の危機であった。エース長谷川良平を引き抜こうと、彼の故郷愛知県の名古屋軍があの手この手で策略を凝らしたのである。 […]

西本恵「カープの考古学」第71回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その/長谷川を狙う名古屋軍>

 カープは2年目のシーズンオフに、再び大きな問題を抱えることになる。名古屋軍による長谷川引き抜き事件である。2年連続で最下位と終わっていたが、戦力の整わない中、2シーズンを戦い抜いたことは及第点であった。<白石、武智ほか […]

西本恵「カープの考古学」第70回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編その2/爆弾声明の前触れに何が!?>

 カープが2年目のシーズンを終えた昭和26年12月、球団関係者も選手も、そしてファンも、資金難からくる存続の危機から脱したと感じていた。 プロ野球は、シーズン中のみならず、オフのストーブリーグの戦いにも勝たねば戦力が整わ […]

西本恵「カープの考古学」第69回<カープ再び危機――エース長谷川引き抜き事件編その1/忍びよる黒い影>

 カープが2年連続最下位となる7位で終えたシーズンは、日本が独立国家として歩み始めた年であった。国民が、国家の体制に左右されずに、自由に娯楽を楽しめる気風も生まれた。プロ野球においても2リーグ制2年目に入り、ファンが根付 […]

西本恵「カープの考古学」第68回<カープ二年目の総括編その6/オフシーズンの試練とは!?>

 カープが誕生して2年目の昭和26年、特定の親会社を持たないカープであるが、選手たちは苦境に耐えてよく戦った。とりわけ一番苦しかったことはセントラル・リーグ連盟による、カープ球団だけ試合をさせてもらえないということだった […]

西本恵「カープの考古学」第67回<カープ二年目の総括編その5/価値ある勝率3割死守>

 カープ創設2年目の昭和26年のシーズン終盤、最下位脱出にわずかながら望みがないわけではなかった。昭和26年10月6日の「中国新聞」はその一縷の望みを託してこう伝えている。<六位大洋とのゲーム差は三・五ゲームで(大洋が) […]

西本恵「カープの考古学」第66回<カープ二年目の総括編その4/劇的な2試合連続サヨナラ勝ち!>

 カープ創設から2年目のシーズンとなった昭和26年は、世界的にも大きな転換点でさまざまな出来事が起こっていた。日本が国際社会に復帰したのは、サンフランシスコ講和会議により、平和条約が締結された昭和26年9月8日。大戦最中 […]

西本恵「カープの考古学」第65回<カープ二年目の総括編その3/驚きの戦力補強――軟式野球部の“県庁マン”>

 カープの創設2年目となる昭和26年、カープは後援会という財政基盤が整った。しかし、それはすぐに他球団と同レベルで、戦力強化ができるかといえば、決してそうではない。球団の運営を、なんとか賄っていけるのではないかというレベ […]

西本恵「カープの考古学」第64回<カープ二年目の総括編その2/後援会設立によって独立採算で歩み出す>

 カープは創設2年目のシーズン中に、生まれ変わったと言える。後援会という球団運営資金を賄う団体をバックに、飛躍を遂げていく。この年、日本も生まれ変わっていくのである。昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和会議が開催され […]

西本恵「カープの考古学」第63回<カープ二年目の総括編その1/「レッドソックス」来日! 赤ユニフォームのはじまりか>

 広島カープが後援会という球団運営資金を賄う組織を得たのは、前回までの考古学で述べてきた。親会社のない球団にあって、県民市民からの拠金で賄っていくことになるのである。カープの飛躍の時期と同じくして、昭和26年9月、日本も […]

西本恵「カープの考古学」第62回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その12/日本の国際社会復帰。広島からのエール>

「カープの後援会の設立を、ここに宣言します」。その声は広島総合球場に響き渡った。昭和26年7月29日のことであった。この雄叫びが、球団関係者をはじめファンにとっていかに心強かったことか。発足から経済的な危機に直面し、幾多 […]

西本恵「カープの考古学」第61回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その11/カープ史に汚点。記念すべき日に刃傷沙汰か!?>

 昭和26年7月29日、広島カープの後援会の発会式が開催された。後援会といっても、単なるファンの集いではない。親会社のないカープ球団にとって、球団運営資金を出資し続ける、親会社代わりとなる組織である。これは被爆後の広島を […]

西本恵「カープの考古学」第60回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その10/ついに迎えた発会式。溢れるファンの思い>

 広島カープ後援会の発会式は、あいにくの悪天となって延期を余儀なくされ、試合前に開催されることとなった。一方カープの後援会費は増加の一途をたどる。戦後、娯楽の少ない時代にファンの思いはカープに託されたのだ。石本秀一監督も […]

西本恵「カープの考古学」第59回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その9/ぞくぞくと集まる後援会費>

 広島カープは、果たして存続できるのか、危機にたびたび遭遇する2年目(昭和26年)のシーズン。カープが戦う相手は、セ・リーグの他の6球団だけではなかった。親会社のないカープは資金難から、選手の補強はわずかで、幾度となく選 […]

西本恵「カープの考古学」第58回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その8/敗者への分配金はわずか3割。町内会組織への呼び掛け>

 カープ2年目のシーズンの苦労はなんといってもお金だ。親会社がないことから球団運営資金に事欠いた。それを、石本秀一監督が生み出した後援会構想により、県民・市民から寄せられる後援会費や、球場前に置かれた酒樽に投げ込まれる、 […]

西本恵「カープの考古学」第55回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その5/「勝率3割」切りなら解散!? 2年目シーズン襲った第三の試練>

 プロ野球セ・パ分裂から2年目のシーズン。さまざまな試練を耐え忍んで迎えた開幕だった。最初の試練は、開幕前に行われた大阪トーナメント大会に参加する遠征費がなかったこと。球団財政が泥沼化し、選手の給料はおろか寮の食事にも事 […]

西本恵「カープの考古学」第54回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その4/試練乗り越え迎えた開幕戦。チーム救ったルーキー右腕>

 広島カープが2年目のシーズンに入る前、財政状況が泥沼化していた球団は“風前の灯火”状態だった。しかし、初代監督・石本秀一の発案による後援会構想により、わずかながら光明が差し込んできた。一方、カープの開幕を拒むセントラル […]

西本恵「カープの考古学」第53回<カープ飛躍の契機、後援会設立編その3/たる募金の写真めぐる謎。68年ぶりに特定された少年の秘話>

 カープ球団史に残る球団の存続危機といえば、設立2年目のシーズンを控え、金策に明け暮れていた日々のことであろう。カープはその危機を、初代監督・石本秀一の考案した「後援会構想」で乗り越えていくが、第二の試練が襲い掛かる。そ […]

Back to TOP TOP