いろいろと考えさせられることの多いソチ五輪である。 たとえば、願望と予想の混同。日本人の場合、「そうあってほしい」という思いが、相手を分析する目を鈍らせる傾向が強いのかもしれない、と自戒の念とともに思う。 戦って負けるのは仕方がないが、メダル有力、あるいは確実といわれた選手が、いざ戦ってみて愕然という図式は、あまりにも苦いし痛い。あらかじめ力の差があることを認識していれば、もう少しやれることもあっただろうに。選手も、スタッフも、そしてメディアも。
甲府がインドネシア代表イルファンを獲得した。昨年、札幌がベトナム人選手を獲得したことに続き、いよいよJリーグの東南アジア戦略も本格化してきた。 今回の獲得で注目すべきは、クラブが自治体と密接なタッグを組んだことである。つまり、クラブだけでなく、山梨県も東南アジア屈指の大国であるインドネシア人の選手を獲得する意味とメリットを理解し、クラブに先立って同国出身者を県庁のスタッフとして迎え入れていた。行政の冷たさ、無理解と戦うクラブは珍しくないだけに、これは画期的な出来事だと言っていい。
この世界に入ったころ、大先輩の新聞記者に聞いたことがあった。名門大学のスーパースターが、いわゆる“丸の内御三家”と呼ばれた三菱、古河、日立のいずれでもなく、関西の中堅企業を選んだ時にいきさつについて、である。
イタリアの衛星放送「スカイ」で解説を務めるマッシモ・マウロ氏は、プラティニ、ジーコ、マラドーナという80年代の天才3人とすべてチームメイトとしてプレーした、世界唯一の男である。 その彼がベローナ戦での本田について語った言葉が、21日付のスポニチで大きく報じられていた。 「カカーやロビーニョのコピーにしかならない補強をする必要が本当にあったのか」
百里の道は九十九里をもって半ばとす、という言葉があるが、九十九里まできたとしても一里しか来ていない、と見るべきなのがサッカーにおける移籍話である。 実体のない噂もあれば、関係者が交渉の材料とすべく、あえてリークしてくる場合もある。従って、現時点ではまだ白紙と見るべきではあるのだが、それにしても、久々に胸のときめくフォルラン獲得?のニュースである。
痛恨すぎる敗北は、時として最高の良薬たりうる――。いささか古い話題になって恐縮だが、あらためてそう痛感させてくれた天皇杯の決勝だった。
6億円。一般人には到底手の届かない大金だが、前日付のスポニチには、2人のスポーツ選手がこの額を手にしたという記事があった。一人は巨人の阿部慎之助、もう一人はゴルフの松山英樹である。
まずは楽観論が語られ、続いて選手、あるいは通から「そんなに甘いものではない」という声があがる――大雑把にいうと、W杯本大会の組み合わせが決まってからの日本はそんな流れになっていた。
脱帽である。土下座をしてもいい。わたしにできるありとあらゆる「参りました!」をすべて繰り出したとしても、彼らがなし遂げたことの評価としてはまるで足りない。本当に、本当に、本当に素晴らしいサンフレッチェの連覇達成だった。
優勝争いはもちろん興味深い。だが、個人的には優勝争い以上に楽しみにしているのが、昇格、降格を争う戦いである。Jに限ったことではない。たまたま滞在している国で入れ替え戦やプレーオフが行われているとなれば、たとえそれが3部、4部の試合であってもつい足を運びたくなってしまうほどだ。
更迭を要求する声がいつも正しいとは限らない。 6年前の今頃、シーズン途中から指揮をとった外国人監督の解任、更迭を要求する広島ファンの声は決して珍しいものではなかった。続投を決定したフロントに対する批判もかなり手厳しいものがあった。もし、あの時点で更迭という決断がくだされていたら、Jリーグの現在はまたずいぶんと違ったものになっていた可能性がある。少なくとも、ペトロヴィッチ監督がレッズの指揮官になっていることはなかっただろう。
大迫が生んだ勝利だった。オランダ戦における彼のゴールがなければ、チームは完全に自信を喪失していただろうし、監督の更迭以外に再生の道はなくなっていた。壊れかけたチームを踏みとどまらせた薩摩隼人の一撃があったがゆえの、この日、ベルギー戦での勝利だった。多くの選手、ファンは、再び世界への希望を見いだしたことだろう。
作り上げるのは難く、壊すのは易しい。いかなる伝説的なチームであろうとも、結果が伴わなければ不協和音が噴出する。敗戦、それも零敗を続けてしまった日本代表がおよそ一枚岩には見えなくなってきているのも、当然と言えば当然である。
勝ったことのある人間は、勝利によって得られる喜びを現実のものとして思い起こすことができる。もう一度味わいたいという思いが、苦境を乗り切るための力になってくれる。かつてドゥンガが「勝ったことのあるやつしか勝てない」と断言し、ベンゲルをはじめとする欧州の監督が「勝者のメンタリティー」という言葉をよく使ったのも、結局は同じことである。
古くからのファン、特に日本代表を応援していたファンにとって、10月は哀しい思い出が詰まった月でもある。 木村和司が伝説的なFKを決めながら、韓国に地力の差を見せつけられたのは85年10月26日だった。2年後の10月26日には、雨の国立でほぼ手中にしかけていたソウル五輪への切符を失った。そして、あまりにも有名な“ドーハの悲劇”は10月28日の出来事だった。
ここに来て急速に変質しつつあるが、近年のバルセロナほど、共通した哲学に貫かれたチームはなかった。ボールポゼッションを、状況によってはリスクと考える人間が多い中、彼らはあくまでも勝利への最短距離であるとした。すべての選手が、信じられないほどの精度で同じ方向を目指した――それが成功した最大の要因だった。
わたしは、事ここに至ったからにはザッケローニ監督を解任するのが一番手っとり早い修正案だと思う。コンフェデ杯イタリア戦での日本には、まだ自分たちのサッカーに対するプライドや夢があった。守備はズタズタにやられたが、それは相手も同じことだった。何より、あの時の日本には、日本人以外にも愛される魅力があった。
古くは70年代初頭のアヤックス、最近ではバルセロナ。サッカーの世界には、時折、全世界のサッカー観に影響を与えるようなチームの出現がある。 だが、同じ時代の同じリーグに複数の革命的存在が同居したことは、かつてなかった。グアルディオラのバルサがとてつもないサッカーを披露し始めた時、レアル・マドリードは“銀河系軍団”ではなくなっていた。逆に、ジダンたちが我が世の春を謳歌していた時、バルサのサッカーに見るべきところは多くなかった。
ここ数年、世界のサッカーの中心にあったのはバルセロナだった。「ポゼッション」という概念がかくも広大に、またかくも急速に広まったのは、グアルディオラに率いられたチームの展開するサッカーが、素晴らしく革新的で魅力的だったからに他ならない。日本においても、トップクラスのチームのみならず、名もないアマチュアのクラブでさえ目指すサッカーの方向性を聞かれれば「ポゼッション」と返すようになった。ちょっと重圧を受けただけで安全第一のサッカーをやってしまうチームでさえも、理想はあくまでもバルサだった。
このままではいけない? 何か手を打つ必要がある? まったくの同感だ。あまり賛成はできないが、大会方式を変えてみるのもいいだろう。このやり方ならば、1ステージ制では到底優勝など望めないチームにも可能性は出てくる。 だが、考えるべきは、もっと本質的な部分ではないのか?
ついにここまで来たか、というのが率直な感想である。元アルゼンチン代表のパブロ・アイマールが、マレーシアのジョホールに入団を決めた。現地報道によると、年俸は日本円に換算して2億円強だという。
スポニチが比較的大きく取り上げていた一方、ほとんど無視した新聞もあった。どれほど重要性、信憑性のある発言なのか、社によって判断がわかれたのだろう。FIFAのブラッター会長がカタールでのW杯開催について極めて異例のコメントをしたという“事件”である。
おや、と思った。 「国内、海外も平等に扱いたいと思っている。海外に移籍すれば代表に入れるわけではない。それぞれのクラブ、リーグで活躍することが(代表入りへの)一番の近道と考えてほしい」 8月29日、グアテマラ戦、ガーナ戦に臨む日本代表メンバーを発表する際、ザッケローニ監督はそう言ったという。至極もっともな言葉なのだが、これまでの選手選考の傾向を考えると、ほとんど自己否定ともとれる発言である。
今年の夏はいったい何度「観測史上初」という言葉を見たり聞いたりしただろう。とてつもない暑さ。破壊的な豪雨。いままでにはなかったことも、起こり続ければ日常になる。いまはどこかに引っかかっている違和感も、あと何年かすると感じなくなっているのかもしれない。
リーガの開幕を1週間後に控えた8月10日、バルセロナはクアラルンプールでマレーシア代表と親善試合を行った。試合直前になってバルサ側からのクレームにより会場が変更になるという信じられないような“事件”があったものの、バルサ、マレーシア、どちらのファンにとってもまずまず満足のいく試合だったのではないか。結果はバルサの3−1だったが、マレーシアも一度は同点に追いつくゴールを奪っていたからである。
