FORZA SHIKOKU

大村光矢(プロボクサー/愛媛県西条市出身)第1回「平成の輪島功一になるために」

 倒されても倒されても立ち上がる男がいる。  日本スーパーフェザー級3位の大村光矢(三迫)だ。これまでの戦績は13勝(9KO)5敗1引き分け。昨年9月には、階級をひとつ上げ、荒川仁人(八王子中屋)の持つ日本ライト級王座に挑戦したが、2Rにダウンを喫し、5R54秒TKOでリングに散った。過去の試合でも序盤にダウンを奪われたことが5度もある。しかし、そのたびに立ち上がり、スイッチが入ったように相手に襲いかかった。そのうち2度は派手な逆転KOで勝ち名乗りを受けた。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)最終回「プロで味わった天国と地獄」

 1989年のプロ野球ドラフト会議といえば、史上最多の8球団から指名を受けた野茂英雄だ。クジ引きの結果、野茂の交渉権は仰木彬(故人)監督率いる近鉄が獲得。翌年、野茂は期待通りの活躍を見せた。しかし、この年のドラフトで1位指名を受けた選手、特にピッチャーは野茂の外れ1位も含め、翌年のルーキーイヤーから活躍した者が多かった。セ・リーグでは中日の与田剛と広島の佐々岡真司が激しいセーブ王争いを繰り広げれば、パ・リーグでは西武の潮崎哲也がセットアッパーとしてチームの優勝に大きく貢献した。そして忘れてならないのが、唯一先発として堂々と野茂との新人王争いに挑んだ日本ハムの酒井光次郎である。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)第3回「甲子園、最後の一球は清原からの三振」

「とんでもない相手とやることになったなぁ……」  松山商2年生エース・酒井光次郎は、準々決勝進出の喜びよりも、次戦の相手の方が気になっていた。1984年、初戦敗退を喫した春の雪辱を果たそうと、松山商は夏の地方大会を制し、再び甲子園へと乗り込んだ。1、2回戦を完封勝ちし、3回戦も打撃戦を制して15年ぶりに準々決勝へとコマを進めた。そして次戦の相手は、桑田真澄と清原和博の“KKコンビ”擁するPL学園だった。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商出身)第2回「投手としての礎を築いた高校時代」

 大阪出身の酒井光次郎だが、高校は愛媛県の強豪・松山商に進学した。 「中学の先輩のお父さんが松山市出身で、そのおじさんにあたる方が松山商の窪田欣也監督だったんです。それで先輩を筆頭に、うちの中学からは毎年のように松山商に行く選手がいました。僕もその流れで行った一人ですね」  中学時代、何度か松山商の練習を見に行ったことがあったが、そのあまりの厳しさに度肝を抜かれた。しかし、同時に「ここで野球をやってみたいな」という憧れの念を抱いた酒井は、中学卒業後、大阪を離れて海を渡った。

酒井光次郎(信濃グランセローズ投手コーチ/愛媛・松山商業出身)第1回「無縁だった小学・中学時代の“KKコンビ”」

 1989年、プロ野球ドラフト会議で日本ハムから1位指名を受けたのが、酒井光次郎だ。彼は松山商時代、2年生エースとして春夏連続で甲子園に出場し、卒業後は近畿大へと進学。その近畿大では3年生からエースとなり、全日本大学野球選手権では初優勝の立役者となった。そして、“ドラ1”でのプロ入り――。ここまでは順風満帆な野球人生だった。だが、プロではわずか7年で現役生活に終止符を打った-。その後は台湾へ渡り、五輪代表、プロ球団のコーチを務める。横浜でのスカウト、スコアラーを経て今季、日本の独立リーグの一つ、BCリーグ・信濃グランセローズの投手コーチに就任した。わずか15歳で郷里を離れ、愛媛、東京、台湾、横浜そして長野へ――。波乱万丈とも言うべき酒井の野球人生を追った。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)最終回「ロンドンへの道」

 東海大男子柔道部の上水研一朗監督が、中矢を勧誘しようと思ったきっかけは、彼が高2で73キロ級を制したインターハイだった。 「あの時は会場の体育館が本当に暑くて座っているだけでも汗がしたたり落ちるくらいの悪条件だったんです。そんな中で、彼は初日の団体戦の予選から翌日の団体戦本戦、そして個人戦とこなしてもまったくバテたところをみせなかった。その粘り強さ、たくましさに感心したんです」

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第3回「天真爛漫な柔道」

「体に力のある子だと思いました。懐に入っていなくても強引に力でねじ伏せることができましたから」  そう中矢の第一印象を振り返るのが、新田高柔道部・浅見三喜夫監督だ。娘の八瑠奈(山梨学院大)と同じ伊予柔道会に通っていたこともあり、小さい頃から、その柔道を見続けてきた。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第2回「転機になった3階級アップ」

 中矢は兄の影響で幼稚園の頃から柔道を始めた。最初は半分遊びのつもりだったが、同い年の女の子に勝てないのが悔しかった。 「この子に勝つまではやめられない」  負けず嫌いな性格が幼い心に火をつけた。練習を重ねて力をつけ、その女の子を倒した。もう、この時にはすっかりやめられないほど柔道が好きになっていた。

中矢力(東海大柔道部/愛媛県松山市出身)第1回「運命を変えた金メダル」

 人生を変えた大会だった。  2010年12月12日、東京体育館。柔道グランドスラム東京大会。男子73キロ級に出場した中矢力は大会前まで同階級のIJFランキングが68位で周囲の期待度は決して高くなかった。本人も入賞を目標に大会に臨んだ。「1、2回戦は固かったですね」。いつも緊張するという初戦、そして2戦目を乗り切ると、準々決勝、準決勝を勝ち上がり、決勝へとコマを進めた。

岩村明憲(東北楽天ゴールデンイーグルス/愛媛県宇和島市出身)後編「松山−仙台の直行便を!」

: メジャーリーグで4年間プレーした経験から、一番、日本野球に伝えたいと考えていることは? : 野球に対する考え方、価値観ですね。アメリカではベースボールはやっぱり家族があってこそできるっていう文化なんです。日本人はどうしても職場に奥さんや子どもが立ち入ってはいけないような雰囲気になっていますよね。

岩村明憲(東北楽天ゴールデンイーグルス/愛媛県宇和島市出身)前編「星野野球は6番がキーマン」

 岩村明憲が日本に戻ってきた。  今季からクリムゾンレッドのユニホームに身を包み、杜の都でプレーする。星野仙一新監督の下、岩村らの加入で楽天がどう変わるのか。開幕が早くも楽しみだ。日本屈指の強打者へと成長を遂げたヤクルト時代、弱小レイズのワールドシリーズ進出に貢献したメジャーリーガー時代と、節目節目でインタビューを試みてきた当HP編集長の二宮清純が日本球界復帰にあたっての心境を訊ねた。

福井優也(広島東洋カープ/愛媛・済美高出身)前編 「マエケンに早く追いつきたい」

 斎藤佑樹(北海道日本ハム)をはじめ大学出身のルーキー投手が注目を集める今季、カープの赤いユニホームに袖を通したのが、早大から入団する福井優也だ。ドラフト時には斎藤、大石達也(埼玉西武)とともに早大ドラ1トリオとしてメディアでも大きく紹介された。だが、福井は1年間の浪人生活を経ており、年齢は彼らよりも1歳上。3人の中では一番の苦労人だ。プロ1年目のシーズンを前に、これまでの野球人生と、仲間であり、ライバルにもなる同級生たちについて当HP編集長・二宮清純が訊いた。

多木裕史(法政大学野球部/香川県丸亀市出身)最終回「オーラのある選手を目指す!」

 大学生活も2年が過ぎようとしている。4月から3年生になる多木裕史は上級生だ。これまでとは違い、主戦としての活躍、結果を当然のように求められる。そのことを多木自身も十分に理解しているようだ。 「本当にあっという間の2年間でした。いろいろな経験をさせてもらったので、それを活かしてチームを引っ張っていけたらと思っています」  表情はクールだが、胸に秘めているものはあるようだ。

多木裕史(法政大学野球部/香川県丸亀市出身)第3回「野球は9回2死から」

 多木裕史には今でも忘れられない試合がある。4年前の夏、坂出高校は初の甲子園出場まであと2勝と迫っていた。準決勝の尽誠学園戦も2点リードで最終回を迎え、いよいよ決勝へというところまできていた。1点を返されたものの、なんとか2死までこぎつけた。決勝まであとアウト一つ。ところが、そのアウト一つが坂出にはあまりにも遠かった。

多木裕史(法政大学野球部/香川県丸亀市出身)第2回「父、親友とともに」

 多木裕史は両親ともに高校の体育教諭というスポーツ一家に生まれた。父親は坂出高校の野球部監督でもある。そんな環境に生まれ育った多木が野球への道を進んだのはごく自然なことだったに違いない。小学1年からソフトボールを始めた彼は、父親の「そろそろ」というすすめもあり、小学4年から軟式野球チームに入った。そこで彼は“親友”に出会った。

多木裕史(法政大学野球部/香川県丸亀市出身)第1回「奇跡の春」

 2009年6月、法政大学が全日本大学野球選手権を制し、14年ぶりに日本一の栄冠を手にした。富士大との決勝戦は7回まで相手エースにわずか1安打に抑えられたが、8回に犠牲フライで同点に追いつくと、9回には5安打4得点の固め打ち。一気に試合を引っくり返し、最後はエース二神一人(阪神)がきっちりと三者凡退に切ってとった。最後の打者の打球が中堅手のグラブに収まると、選手たちはマウンドへと一目散に駆け寄り、「No.1」ポーズで喜びを分かち合った。その最高の瞬間を、1年生では唯一グラウンドで迎えた選手がいた。多木裕史だ。四国・香川から上京して、まだ半年にも満たない19歳のルーキーはその年、鮮烈なデビューを果たしていた。

村田夏南子(JOCエリートアカデミー/愛媛県松山市出身)最終回「憧れの存在と3分間の真剣勝負」

 12月21日から23日にかけて代々木第2体育館で天皇杯全日本レスリング選手権大会が行われ、男女あわせて21の階級で今年のレスリング日本一が決定した。村田が挑戦したのは最終日の女子55キロ級。14名の選手が参加し、第1シードには04年アテネ、08年北京五輪金メダリストの吉田沙保里が入った。村田は順調に勝ち上がれば、準決勝で吉田と対戦する組み合わせとなっていた。

村田夏南子(JOCエリートアカデミー/愛媛県松山市出身)第3回「乗り越えなければいけない壁」

 国内外問わず、年代別の大会で次々と好成績をあげる村田は、一つの挫折を味わっている。今年5月、ユース五輪出場を懸けたアジア予選がウズベキスタン・タシュケントで行われた。60キロ級で村田は見事に優勝し、アジアの頂点に立つ。しかし、46キロ級ではエリートアカデミーの1期生であり、高校でも一緒にトレーニングしている宮原優が優勝を飾る。ユース五輪は全階級を通して、女子の代表選手は各国一人ずつしか出場できない。日本レスリング協会理事会はこれまでの経験や実績を考慮して、宮原を8月にシンガポールで行われたユース五輪に派遣した。その宮原は見事、ユース五輪で優勝し、脚光を浴びた。

村田夏南子(JOCエリートアカデミー/愛媛県松山市出身)第2回「松山から単身、エリートアカデミーへ」

 オリンピックや各競技の世界選手権勝つためには、選手個人の力だけではどうしようもない点がある。それは環境整備の問題だ。今日、世界各国で育成年代の強化やトレーニング施設に莫大な資金が投入され、五輪メダルを巡る争いは激しさを増している。もちろん、日本も例外ではない。各競技団体や国が連携しながら様々な施策が講じられ、ハード・ソフトの両面から充実が図られている。その中でもアマチュアスポーツ界の拠点となっているのが東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)だ。そして、この施設を中心に育成に力を入れ、未来の五輪メダリストを育成するシステムが、JOCエリートアカデミーである。

村田夏南子(JOCエリートアカデミー/愛媛県松山市出身)第1回「オリンピックを目指す17歳」

 ニッポンのお家芸――。オリンピックなどの国際大会で、この言葉が冒頭に用いられる競技といえば、真っ先に思い浮かぶのは柔道だ。日本発祥のスポーツであり、東京オリンピックで正式種目となってから46年、オリンピックでの金メダル獲得は34個を数える。  もうひとつ、柔道と並ぶ日本の得意競技がある。それはレスリングだ。過去の五輪で、柔道に次ぐ22個の金メダルを獲得している。中でも2004年アテネ大会から正式種目となった女子フリースタイルは4階級中2階級で吉田沙保里、伊調馨が連覇を達成し、さらに伊調千春が銀2個、浜口京子が銅2個と出場選手全員がメダルを獲得している。近年、オリンピックを観戦している若いファンにとっては、女子レスリングこそまさに“ニッポンのお家芸”と言えるのではないか。

浅見八瑠奈(山梨学院大柔道部/愛媛県伊予市出身)最終回「講道館杯優勝でみせた涙」

 11月21日、講道館杯全日本体重別選手権大会最終日(千葉ポートアリーナ)。  浅見は女子48キロ級にエントリーし、3年ぶりの優勝を狙っていた。世界柔道の決勝で破った世界ランキング1位の福見友子(了徳寺学園職)はアジア大会出場のため欠場。ライバルと目されるのは世界ランク3位の山岸絵美(三井住友海上)、そして同9位で同学年の近藤香(帝京大)だった(ランキングは講道館杯開幕前時点)。

浅見八瑠奈(山梨学院大柔道部/愛媛県伊予市出身)第4回「打倒・福見への秘策」

 ここであらためて世界の頂点に立った9月の世界柔道を振り返りたい。  浅見は1回戦から準決勝までをオール一本で勝ちあがった。決勝の相手は世界ランク1位の福見友子(了徳寺学園職)。予想通りの顔合わせだった。福見は、この階級で第一人者の谷亮子に2度土をつけた唯一の選手だ。前回大会に続く連覇を狙っていた。

浅見八瑠奈(山梨学院大柔道部/愛媛県伊予市出身)第2回「谷亮子に勝ちたかった」

: 山梨学院大に進学したきっかけは? : 実は最初、山梨学院大に柔道部があるなんて知らなかったんです(苦笑)。でも西田(孝宏)先生と山部(伸敏)先生に「1回、練習に来てみないか?」と声をかけていただきました。その時は軽い気持ちだったんですけど、実際に行ってみるとすごく練習内容が濃かった。西田先生からは「日本一にしてやるぞ」とも言われました。みんな一生懸命練習していたので、「本当にここでやったら日本一になれるんじゃないかな」と思ったんです。

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