金子達仁

弱点パワープレー克服へ 決勝は「最良の教材」

 わたしが皮肉屋の韓国人記者であれば、試合のMVPにはサウジアラビア人の主審を選ぶ。2点目のきっかけとなった日本のPKは反則のようには見えなかったし、百歩譲って反則だったとしても、ペナルティーエリアの外で犯されたものだったのは間違いない。韓国人からすれば、これまた微妙な判定だった先制点の“恩義”を差し引いても、主審に文句を付けたいところではないか。

最強日本を生む“二大勢力”の融合

 ヨハン・クライフ率いるバルセロナが“ドリームチーム”と呼ばれるようになった理由の一つには、ウェンブリースタジアムでサンプドリアを下した欧州チャンピオンズ杯決勝での勝利があった。逆に、クライフがチームを追われるきっかけとなった原因の一つに、0−4という惨敗に終わったACミランとの欧州CL決勝がある。

大学サッカーに「大化け高校生」枠を

 高校生は化ける。ほんの数カ月前、さしたる印象にも残らなかった選手が、チームが、信じられないほどの輝きをみせることもある。日々の練習か、一つのプレーか、それとも大舞台での結果か。きっかけは、どこに転がっているかわからない。  だが、現状の日本サッカー界は、化ける可能性に対していささか冷淡にすぎるのではないか。

「身の丈」貫くとJが世界の草刈り場に

 2010年という年は、日本サッカー界にとってターニング・ポイントとして記憶されることになるかもしれない。  きっかけとなったのは、もちろんW杯でのベスト16進出である。個人的には、きちんとした準備をしていれば、結果はともかく、内容はもっと見るべきものが多いチームになったはずだとの思いはある。ただ、ベスト16という結果が、どんな名監督であっても簡単に成し得た結果ではなかったことも間違いない。

選手の意向とかけ離れたW杯開催地決定

 正直、驚いている。  日本が招致に失敗したのはわかる。当事者が何を言おうと、第三者からすれば02年のW杯はあまりにも記憶に新しすぎる。なぜ日本で? という疑問に対する答えを、今回の招致活動は用意することができなかった。世界に冠たるフットボール・カントリーでもなく、世界中のファンが憧れるようなスタジアムがあるわけでもない国。おそらく、これからも日本がW杯を招致するのは難しいだろうが、今回は尚更だったということだ。

バルサ圧勝の背景にバックパス“否定”の歴史

 試合後、バルセロナのグアルディオラ監督は言った。「この勝利をチャーリー・レシャックとヨハン・クライフに捧げたい。彼らが私たちの進むべき道を示してくれたからだ。この勝利は、チームが15年間かけて成長させたフットボールのスタイルがもたらしたものだ」  この言葉は、若き監督による先達へ向けた社交辞令、では断じてない。5−0。世界を驚かせたレアル・マドリード相手の圧勝劇は、まさに、バルセロナというチームの歴史がなければ起こりえないものだった。

日本サッカー育成のカギ握る「大学」の存在

 これが一時的なもの、突発的な出来事だというのであれば、何も心配する必要はない。あくまでもJを徹底して重視するスタイルを貫けばいい。  だが、変化の始まりである可能性はないだろうか。高校3年生の段階ではJのスカウトのふるいから落とされ、大学生になって頭角をあらわした選手が、五輪代表のエースとして君臨するケース――つまり福岡大・永井謙佑のケースである。

大学スポーツの力、侮りがたし

 バルセロナ五輪の予選に挑んだ日本代表は、大学生を主体としたチームだった。中盤の柱となったのは東海大の澤登正朗、ケガ人の出た最終ラインをまとめたのは早稲田の相馬直樹である。GK下川健一、DF名良橋晃、FW藤吉信次など、プロアマ混合の日本リーグでプレーしている選手もいたが、あくまで、大学生が多数派を占めるチームだった。

早すぎる2点目は「毒」だった

 サッカーは怖い。あらためて痛感させられたナビスコ杯決勝だった。  前半の試合内容は、はっきりいってかなり低調だった。無理もない。広島は勝ったことがない。磐田は久しく勝っていない。どちらのチームも、このタイトルに並々ならぬ思いを抱いており、それゆえ、どちらのチームも極端にリスクを恐れた。結果が、単調な縦パスの応酬だった。

Back to TOP TOP