その他スポーツ

第161回「農業×スポーツ!?」

「ファームクロス」というスポーツをご存知だろうか?  恐らくほとんどの方が、聞いたこともないはずだ。それもそのはず、まだ生まれたばかりのスポーツで、初めての大会が富良野で開催されたのは今月15日だった。  ルールを簡単に説明すると、雪の斜面を農業肥料が入っていた袋に乗って滑り降りるというもの。極めて単純なスポーツ、いや遊びと言った方が適当かもしれない。これに類する遊びは全国的にも珍しくなく、段ボールやビニールなど、様々なものをソリ代わりに滑った経験のある方もいるのではないだろうか。それをあえてネーミングし、大会にする。この一見、バカバカしいイベントに興味津々で行ってきた。

宮内育大(日本大学陸上競技部/高知県長岡郡大豊町出身)第3回「失意を乗り越えて掴んだ日本一」

「序盤で16メートル39を投げて、“ここからだ!”という時に伸ばし切れませんでした」  こう振り返る宮内育大の表情には、今でも悔しさがにじみ出ていた。7年前の2008年8月、埼玉インターハイ・陸上男子砲丸投げで宮内は予選1投目を失敗したものの、つづく2投目で16メートル13を投げて予選通過記録(15メートル20)を突破した。事実上の“一発クリア”を果たし、決勝前の練習でも好調を維持。追手前高校陸上部監督の岡村幸文には、他校の指導者の「これは宮内が優勝だな」という声も聞こえてきた。それほど、宮内の調子は良かった。迎えた決勝でも、1投目で16メートル39の自己ベストをマークして1位に躍り出た。しかし、2投目以降で記録を伸ばせず、最終順位は5位。競技終了後、宮内に笑顔はなかった。

宮内育大(日本大学陸上競技部/高知県長岡郡大豊町出身)第2回「全国で勝負するために必要だったモノ」

 2007年8月、高校2年となっていた宮内育大は佐賀インターハイに出場した。砲丸投で全国大会に出場するのは初めて(※前年に少年・円盤投げで国民体育大会に出場)だった。当時、彼の自己ベストが14メートル台だったのに対し、全国大会常連の選手たちのそれは16メートル台。専門誌で取り上げられるほどの選手もいたが、宮内は「やってみなければわからない」という気概で大会に臨んだ。しかし、公式練習で宮内の力一杯投げた距離が、猛者たちに軽々と越されていく。迎えた本番でも14メートル11の記録におわり、彼は決勝に進出することができなかった。宮内は「まざまざと力の差を見せつけられました」と当時を振り返った。

第285回 ヘビー級人気復興の鍵を握るクリチコ、ワイルダー

 2月4日、マディソン・スクウェア・ガーデン(MSG)で次期防衛戦の発表会見に臨んだWBA、IBF、WBO世界ヘビー級王者ウラディミール・クリチコ(ウクライナ)は、周囲の誰もが驚くほどに上機嫌だった。壇上では常に笑顔を浮かべ、ついにはフランク・シナトラの有名曲「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌詞まで口をついて出たほど。 「“ニューヨークでやれるなら、どこでもやっていける”。この場所で再び戦うことができてとても幸せだ」 

宮内育大(日本大学陸上競技部/高知県長岡郡大豊町出身)第1回「運命に導かれたショットプッター」

 初めての記録は優勝だった。日本大学陸上競技部の宮内育大(大学院2年)が砲丸投に出合ったのは、中学3年の時だ。宮内は通っていた大杉中学校でソフトボール部に所属していた。2005年11月、宮内ら運動部の選手が地域で開催された陸上大会に参加する機会があった。そこで宮内は砲丸投に出場し、大会記録を出して優勝。彼は砲丸投という種目を選んだのは「たまたまでした」と振り返ったが、初めて砲丸を投げたという宮内の結果に周囲は驚いた。当時はまだ宮内自身に陸上を始める気持ちはなかった。だが、陸上大会での活躍は、彼を陸上の世界へと誘うきっかけとなった。

加藤裕之(コナミスポーツクラブ体操競技部監督)<後編>「改善を重ねてきた指導方針」

 チームに日本代表クラスの選手を多く抱え、自らも日本代表コーチとして2008年北京、12年ロンドンと2大会連続で五輪に帯同した加藤裕之。彼が指導者としてのスタートを切ったのは、現役引退を表明した翌年、1993年のことだ。20年以上の指導者人生を振り返り、「若い頃とは指導の仕方は変わった」と語る加藤。果たして、指導方針はどう変化したのか。

長崎望未(トヨタ自動車レッドテリアーズ/愛媛県新居浜市出身)最終回「動じない心、変わらぬ姿勢」

 2013年4月、日本リーグ開幕節。4連覇を狙うトヨタ自動車レッドテリアーズは、毎年優勝争うライバルのルネサスエレクトロニクス高崎と対戦した。長望未は3番センターでスターティングメンバーに名を連ねた。  最初の打席でいきなりチャンスはやってきた。顔には出さないが、胸中には期するところがあったのだろう。バッターボックスに入る長の眼光は鋭かった。一方で打撃フォームから力みは感じられず、悠然とした佇まいを見せていた。「勇気がなかった」という前年の彼女の姿は、そこにはなかった。

えひめ国体まであと2年、総合優勝へ意気込み 〜新春えひめスポーツのつどい〜

 愛媛県体育協会などが主催する「2015新春えひめスポーツのつどい」が3日、松山市内のホテルで開かれた。集まったのはボートの武田大作選手(ダイキ)など、2年後の「愛顔(えがお)つなぐ、えひめ国体」へ県内を拠点に活動するアスリート、スポーツ関係者など約300名。ソフトテニスで2年連続国体に出場した3つ子の青木彰彦選手、雅彦選手(ともに愛知学院大)、梨香選手(千里金蘭大)が司会を務めた。出席者はお互いの親睦を深めつつ、新たな年の決意を新たにしていた。

長崎望未(トヨタ自動車レッドテリアーズ/愛媛県新居浜市出身)第3回「試練を乗り越え、さらなる高みへ」

「10年にひとりいるかどうかの逸材」。京都西山高校で3年間、長望未を指導した吉田茂樹(現龍谷大監督)は彼女をそう絶賛する。「運動能力が高く、バッティングは器用で何でもできた。打撃に関しては、天性のものを持っていました。タイプは違いますが、同じ左バッターだったら狩野亜由美(現豊田自動織機シャイニングベガ)も並のセンスじゃなかった。そんな彼女よりも上だと思います」。同校のOGであり、日本代表の1番打者として、北京五輪の金メダル獲得に貢献した狩野を凌ぐほどのセンスだったという。高校時代、長はその類稀なる才能を如何なく発揮した。

石川、女子シングルス連覇で3冠達成 男子・水谷は2年連続7度目のV 〜全日本卓球選手権〜

 18日、全日本卓球選手権最終日が東京体育館で行われ、女子シングルス決勝は石川佳純(全農)が森薗美咲(日立化成)を4−1で破り、2年連続3度目の優勝を達成した。石川は混合ダブルス、女子ダブルスと合わせ、今大会3種目で優勝。女子選手としては、54大会ぶり2人目の3冠の快挙を成し遂げた。男子シングルス決勝は水谷隼(becon.LAB)が神巧也(明治大)にストレート勝ちし、2年連続7度目の優勝を収めた。石川と水谷は世界選手権(4月、中国・蘇州)の代表に内定。2人と昨年12月の選考会を勝ち抜いた吉田雅巳(青森大)と平野早矢香(ミキハウス)を含めた代表選手は明日19日に発表される。

平野&石川組、女子ダブルス連覇 石川は2冠 〜全日本卓球選手権〜

 17日、全日本卓球選手権6日目が東京体育館で行われ、女子ダブルス決勝は平野早矢香(ミキハウス)&石川佳純(全農)組が阿部愛莉&森薗美月組(大阪・四天王寺高)を3−2で下し、2年連続3度目の優勝を果たした。石川は混合ダブルスに続き今大会2冠を達成。男子ダブルス決勝は森薗政崇(明治大)&三部航平(青森山田高)組が岸川聖也(ファースト)&水谷隼(beacon.LAB)組にストレート勝ちし、連覇した。男女シングルス準々決勝は水谷、石川と前年度の優勝者が順当に準決勝へとコマを進めた。15日にジュニアの部を制した伊藤美誠(スターツ)は、石川にストレート負け。ベスト4進出はならなかった。

第160回「スポーツ・レガシー事業、スタート!」

「東京マラソン チャリティ“つなぐ”」で2015年大会から登場した「スポーツ・レガシー事業」。以前、このコーナー()で書かせていただいたように、レガシーといっても、その範囲は広すぎて意外に難しい。そこでマラソン財団としてテーマにしたのが「スポーツの夢(強化育成)」「スポーツの礎(環境整備)」「スポーツの広がり(普及啓発)」「スポーツの力(社会貢献)」の4つ。これでも広いなぁ……。どれももっともな項目であるのだが、皆さんから預かったお金をどう使っていくのがいいのか。限られた財源で、効果を出すのは非常に難しいところである。

長崎望未(トヨタ自動車レッドテリアーズ/愛媛県新居浜市出身)第2回「直感を信じて選んだ道」

 人生には幾つもの分岐点がある。長望未はこれまで自らの直感を信じて歩んできた。小学3年でソフトボールを始めたのは、彼女にとって“これだ”と思える何かを感じたからだ。長はそれまで小学1年からの2年間、バレーボールをやっており、監督やコーチから「筋がいいね」と褒められるほどだった。だが、バレーボールが彼女の心を打つことはなかった。長がソフトボールに惹かれた理由は、やはりバッティングだった。

加藤裕之(コナミスポーツクラブ体操競技部監督)<前編>「内村航平、強くあり続けられる理由」

 いったい、この男はどこまで強くなるのだろうか――。昨年の世界選手権で個人総合5連覇を達成し、2008年の全日本選手権以降、12年ロンドン五輪も含め、個人総合では負け知らずの31連勝。世界体操界の歴史にその名を刻み続けているのが、内村航平である。彼が所属するコナミスポーツクラブ体操競技部の監督であり、北京、ロンドンと2大会連続で五輪日本代表コーチを務めた加藤裕之はこう言う。 「航平こそ、歴代の世界最強の選手ですよ」  07年のユニバーシアードから日の丸を背負って演技する内村を見てきた加藤に、内村の強さの所以を訊いた。

年に1度の祭典に出場する24名を発表! 〜TK bjリーグ オールスター〜

 9日、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)は2月1日に開催される「ターキッシュ エアラインズ bjリーグ 2014-2015シーズン オールスター ゲーム in 群馬」の出場選手と着用ユニフォームを発表した。ブースター投票と主催者推薦によってイーストとウエストの両カンファレンスから各12名を選出。会見にはイースト代表で開催地にある群馬クレインサンダーズ所属の友利健哉、ウエスト代表の岸本隆一(沖縄)が出席し、オールスターへの抱負を語った。

第283回 初夢予想 ニューヨークの“暗黒時代”を終わらせるのは?

 昨今のニューヨーク・スポーツ界が“暗黒の時代”を迎えているのは否定できない事実なのだろう。  MLBのヤンキース、メッツはともに過去2年連続でプレーオフを逃し(メッツは8年連続)、NFLのジャイアンツ、ジェッツも今季の成績はどちらも負け越しで終わった。シーズン中盤を迎えたNBAでもニックス、ネッツが勝率5割以下で低迷し、プレーオフ上位進出はあり得そうもない。

長崎望未(トヨタ自動車レッドテリアーズ/愛媛県新居浜市出身)第1回「自分の“間”に引き込むスラッガー」

 バッターボックスに立つ前、トヨタ自動車レッドテリアーズの長崎望未は自軍のベンチを見つめていた。自らの呼吸を聞きながら、集中力を研ぎ澄ましていたのだ。  昨年11月、日本リーグ決勝トーナメント。前年度覇者のルネサスエレクトロニクス高崎との決勝、相手の先発マウンドには上野由岐子が立っていた。北京五輪や世界選手権など数々の国際大会で日本に金メダルをもたらしてきた日本の大黒柱である。  1回裏、1死三塁の場面、先制のチャンスで3番・長の打順は巡ってきた。いつも通りのルーティンをこなす。土埃のついたバットに息を吹きかけ、「頼むよ」と“相棒”に気持ちをこめた。

権田達也(中央大学重量挙部/愛媛県新居浜市出身)最終回「愛媛のために、日本のために」

「階級を53キロから56キロに上げてみたらいいんじゃないか?」  2012年10月の国民体育大会終了後、権田達也は中央大学重量挙部の同級生からこうアドバイスされた。権田は大学に入って記録が伸びなくなり、スランプからの脱出を模索していた。彼は同級生の助言を受け入れて階級アップを決意。すぐに食事量と筋力トレーニング量を増やし、56キロ級で戦う体づくりに着手した。すると、この決断が吉と出た。それまで何をやっても伸びなかった記録が急激に向上したのだ。「スナッチでいえば約10キロも記録が伸びました。記録がまた向上してきたので、やっぱり重量挙げって楽しいなと思いましたね」と権田。彼は階級アップをきっかけに新たなパワーを手にし、失いかけていたウエイトリフティングへの情熱も取り戻したのだ。

“価値向上”と“共創”で広がるアナリティクスの可能性

 全日本女子バレーボールチームの専属アナリスト渡辺啓太が代表理事を務める、一般社団法人日本スポーツアナリスト協会は21日、昨年6月に発足して以来初めてのカンファレンス「スポーツアナリティクスジャパン2014」を開催。最新の情報分析方法やその成果、今後の可能性についての発表が行なわれ、現場、メディア、教育など、多方面における貴重な話に、定員を大幅に超える約200名の参加者が熱心に耳を傾けた。

大山加奈(元バレーボール全日本女子)<後編>「大きかった妹の存在」

: 最近のバレーボールは試合中に監督やコーチがタブレットでデータをチェックしながら、選手に指示を出すようになってきました。試合前にはどのくらいのデータが選手に与えられるのでしょうか。 : 今、全日本の眞鍋政義監督がどのようなミーティングをしているかはわかりませんが、私の現役時代は、セッターやスパイカーのクセや傾向はすべて伝えられていました。こっちからボールが来たら、こっちに上げることが多いといったデータを教えてもらっていましたね。

床亜矢可(SEIBUプリンセスラビッツ)<後編>「リンクに根を張り、花咲かす」

「宜しくお願いします!」  リンクから上がる時、SEIBUプリンセスラビッツに所属するDF床亜矢可は深々と頭を下げ、お辞儀をする。戦場への律儀な挨拶は、練習でも試合でも必ず行う彼女のルーティンだ。 「試合で第1ピリオドが終了した時も、第2ピリオドで自分がいいプレーできるようにお願いするんです。練習が終わっても『宜しくお願いします』と言いますね。『ありがとうございます』は引退する時。それまではいつそのリンクにお世話になるかわからないという思いがあるんです」  こうした床の真摯な姿勢は、競技にもプレーにも現われている。

権田達也(中央大学重量挙部/愛媛県新居浜市出身)第4回「有終の美を飾った高校生活」

「今日はバーベルが軽く感じる」  2011年8月、権田達也はインターハイのウエイトリフティング男子53キロ級に出場した。冒頭のコメントは、スナッチの1回目を挙げた時の感触である。ライバルと目されていた選手はスナッチが得意種目だったが、権田はライバルを上回ってトップ(87キロ)につけた。そしてジャークでもトップ(113キロ)となり、トータル200キロ。権田は目標にしていた日本一を、完全優勝で成し遂げた。優勝が決定した瞬間、会場には権田と監督の石川洋平が抱き合って喜ぶ光景があった。

高橋&松友組、初優勝! 〜BWFスーパーシリーズファイナルズ〜

 21日、バドミントンのBWFスーパーシリーズファイナルズ最終日がUAE・ドバイで行われ、女子ダブルス決勝で世界ランキング2位の高橋礼華&松友美佐紀組(日本ユニシス)が同1位のティアン・チン&ツァオ・ユンレイ組(中国)をストレートで下した。高橋&松友組は日本人として同大会初優勝を果たした。

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