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: 昨年、東北は大震災に見舞われました。被災地の球団として今季こそという思いは強いと思います。3.11の時はどちらに? : 2軍でヤクルト戸田球場にいました。ベンチでデータをとっていたんですが、結構、揺れましたね。最初は、そんな大変なことになっているとは想像もしませんでした。テレビの映像を見て、本当に言葉を失いました。
: 大学3年からは、ようやく腰の痛みが癒え、八戸大の中心投手として活躍します。4年春にはなんとリーグ戦の防御率が0.00。秋の明治神宮大会の東北地区代表決定戦では東北福祉大を相手にノーヒットノーランを達成しました。 : これは自信になりました。ドラフト会議の4日までだったので、いいアピールになると感じましたし、何より勝って神宮大会出場が決まったことで、まだチームで野球が続けられることがうれしかったです。
ラスベガスにも野球チームがあると聴けば、驚く人は多いのではないか。 この名高いギャンブルタウンに本拠地を置くのは、トロント・ブルージェイズ傘下の3Aチーム、ラスベガス51s。ロスアンジェルス・ドジャース傘下だった時代には中村紀洋選手も101試合に出場したこのチームに、今季は五十嵐亮太が所属している。
今や世界の常識と言える「都市マラソン」。名だたる都市には必ずマラソン大会がある。ロンドン、ボストン、ニューヨーク(NY)、パリ、ベルリン……数えだしたらきりがない。それは国内でも同様で東京はもちろん、この数年で大阪、神戸、京都と増えてきた。まるで、マラソン開催が、文化的な都市としての証明であるかのようだ。まあ、ランナーとしては嬉しい限りだが。 一方、同じように世界的にも愛好者が多い自転車はそうもいかないようで、都会で大きな自転車イベントが開催されている例はあまりない。知る限りではヨハネスブルグの「Momentum 94.7 Cycle Challenge」とNYの「Five Boro Bike Tour」くらいだ。しかし、どちらも3万人という参加者を集めるビッグイベントで規模の大きさが半端ではない。ランナーでも3万人となると、コントロールが大変なのは東京マラソンを見た方ならお判りだろう。それを自転車でやるわけだから想像もつかない。そのNYの「Five Boro」に今年初参加をできることになり、自転車好きとしてはもちろんだが、イベント関係に携わる者として興味津々で走ってきた。
「ビーチテニスを愛する全ての人たちのために、期待と希望を背負ってこの場に来ました」 高橋は昨年に行われた「第1回マルハンワールドチャレンジャーズ」の最終オーディションの舞台で、こう力強く語った。高橋・中村ペアがこのイベントに参加した理由――それは資金難により、2011年ワールドチャンピオンシップ(WC)の出場を断念したからだ。彼女たちの代わりに出場権を得た日本のペアは、初戦で大会を去った。コートに立つことなく、結果を見ることしかできなかった高橋は「私たちが出場していれば、という思いはありましたね」と悔しそうな表情を浮かべた。その思いがスポンサー獲得活動に本腰を入れるきっかけとなった。
: 塩見投手は生まれが大阪ですが、愛媛の帝京第五高に進学した理由は? : 兄が、そこの野球部に入っていたことが一番大きな理由です。知り合いの紹介もあり、僕も行こうと思いました。
2年目のシーズン、さらなる飛躍を誓う男がいる。 東北楽天の塩見貴洋だ。ルーキーイヤーの昨季は、同期入団の斎藤佑樹(北海道日本ハム)を上回る9勝(9敗)をあげ、防御率2.85と好成績を残した。岩隈久志(マリナーズ)が抜けた今季は、エースの田中将大に次ぐ先発として期待され、初登板となった4月3日の福岡ソフトバンク戦ではプロ初完封をマークした。ここまでチームトップの3勝(3敗)をあげている。現状、田中が腰痛で離脱しているなか、チームの中心投手として投げ続ける若き左腕に二宮清純がインタビューした。
男女体操のロンドン五輪日本代表決定競技会となるNHK杯(代々木競技場第一体育館)は5日、最終日を迎え、男子の田中和仁(徳州会)、佑典(コナミ)兄弟と、女子の田中理恵(日体大研究員)が揃って選考基準を満たし、五輪代表に決まった。日本の体操で3兄妹で五輪に同時出場するのは史上初めて。既に男子で代表内定が出ていた内村航平(KONAMI)も含め、男女5人ずつがロンドンへの切符を手にした。
アメリカ・ネバダ州ラスベガスは、2012年最大規模となるであろうビッグファイトの到来に沸いている。 5月5日にMGMグランドガーデンで行なわれるWBA世界スーパーウェルター級タイトル戦で、5階級制覇王者フロイド・メイウェザーとプエルトリコの英雄ミゲール・コットが激突。近年の世界ボクシング界に君臨してきたリーディングボクサー2人の対戦は、今年度上半期のハイライトだと言ってよい。
浜辺で行われるスポーツといえばビーチバレー、ビーチサッカーが市民権を得ているといえるだろう。その中に、近い将来仲間入りするであろう競技が「ビーチテニス」だ。1994年にイタリアで産声を上げたビーチテニスが日本で普及し始めたのは2007年のこと。まだまだ歴史は浅く、大会などに参加する国内の競技者も男女合わせて約500人ほどだ。それでも、日本ビーチテニス界には、現時点で世界の頂に届きそうな存在がいる。高橋友美と中村有紀子。日本ビーチテニスツアーランキング3年連続1位の黄金ペアだ。
人生とは、大どんでん返しの連続である。前年の甲子園出場経験をもつメンバーが残り、春の大会では四国大会で準優勝した2学年上の先輩はその夏、まさかの初戦敗退。その翌年、「史上最強」と謳われた1学年上の先輩は自分たちのミスで3回戦敗退に終わった。ところが、「史上最弱」と言われ続けてきた田中勇次たちの代が甲子園への切符をつかみとったのである。 「自分たちに失うものは何もない」 田中たちにプレッシャーはなかった。あるのはただ、ようやくたどり着いた夢の舞台を楽しむことだけだった。
「史上最弱」――鳴門工業高校時代、田中勇次らの代が言われ続けてきた言葉だ。実際に新チーム発足後、勝つことの少なかった田中たちは、この言葉を素直に受け止めるしかなかった。しかし、決して腐ることはなかった。それどころか、彼らはより一層、練習に取り組んだ。そして、その努力が「史上最強」と謳われた先輩たちにも成し得なかった“奇跡”を起こしたのである。
MLBのアメリカ本土開幕から約2週間が過ぎ、ヤンキースの先発ローテーション投手たちが意外な苦戦を味わっている。 4月18日のツインズ戦を終えた時点で、先発投手の通算成績は4勝5敗、防御率5.77と無惨なもの。前評判が良かったヤンキースが、最初の12戦で6勝6敗と開幕ダッシュに失敗した最大の理由はここにあると言ってよい。
「とうとうやってしまったか」。私の最初の正直な感想はそんな感じだった。 約20年間向き合い上り詰めた。本当にここまで追求したのだと思うと、この男に対して素直に尊敬するしかない。 彼の名は田中正人。日本で最も経験豊富な数少ないプロのアドベンチャーレーサーである。 1993年からこのスポーツを始め、とうとう今年の2月にチリで開催された「PATAGONIAN EXPEDITION RACE」で2位に入るという快挙を成し遂げたのである。「世界と戦えるレーサーになる」と言い続けて苦節18年。本当に世界のトップレーサーの仲間入りを果たしたのだ。
: 伊藤選手がトランポリンを始めたきっかけは? : 兄が体操、姉がトランポリンと水泳をやっていた影響で、幼稚園の時に体操、水泳、トランポリンを始めました。そのなかで、トランポリンが一番おもしろかったので本格的に続けることになりました。
田中勇次は中学校を卒業すると、地元の神戸市を離れ、徳島県の鳴門工業高校へと進学した。前年、鳴門工は夏の甲子園に出場し、ベスト8進出を果たしていた。そんな同校に田中は徳島県内に敵はいないと思っていた。 「鳴門工に入りさえすれば、必ず甲子園に行ける!」 そう信じてやまなかった。だが、高校野球の世界はそう甘くはなかった。田中が思い描いていたものとはまるで違う、厳しい現実が待ち受けていた。
「野球の神様」は“突然”を好む。完全に主導権を握っていたかと思えば、“突然”試合の流れが変わることもあれば、それまで好投していたピッチャーが“突然”制球を乱し始め、打ち込まれることもある。そして、その“突然”は試合の中だけには限らない。選手の野球人生そのものをガラリと変えることもある。田中勇次の“突然”は大学2年の秋だった。単なる人数合わせで入った外野の守備をきっかけに、それまで一度も経験のなかった外野手としての才能を開花させたのだ。大学に入学して2年間、 “野球の神様”は一度も田中の方を振り向いてはくれなかった。しかし、決して腐ることなく努力し続けてきた彼に、“野球の神様”がようやく微笑み返してくれたのだ。そして、そのチャンスを田中は決して逃しはしなかった。
【優勝争いの行方は?】 ロックアウトのおかげで例年より遅れてスタートしたNBAのレギュラーシーズンも残り1カ月を切り、勢力地図は少しずつ明確になり始めている。 優勝候補と目されているのは、イースタンカンファレンス首位のシカゴ・ブルズ(43勝13敗)、2位のマイアミ・ヒート(39勝14敗)、ウェスタンカンファレンス首位のオクラホマシティ・サンダー(40勝14敗)の3チーム。今季のNBA王者は、総合力で他を引き離すこの3強の中から出ると考える関係者が圧倒的に多い。
空中を高く舞い、華麗な技を次々と披露するトランポリン。日本には現在、この競技の有力なメダリスト候補がいる。昨年11月の世界選手権で銅メダルを獲得した伊藤正樹だ。世界トップクラスの高さを武器に、ロンドンではばたこうとしている23歳に、二宮清純が特別インタビューを試みた。 ※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。
「背番号10」――六大学野球リーグに所属する全6校に共通した主将の証である。六大学の一つ、明治大学野球部と言えば、昭和の時代に黄金期を築き上げた故・島岡吉郎の“精神野球”で知られる大学球界屈指の名門である。杉下茂、星野仙一(現・東北楽天監督)、高田繁(現・横浜DeNAゼネラルマネジャー)、広沢克己、川上憲伸(現・中日)、そして昨秋ドラフトの目玉として注目された野村祐輔(現・広島)など、これまで数多くのプロ野球選手を輩出してきた。そして、チームの“顔”である歴代の主将には、星野、高田、川上など名だたる人物の名前がズラリと並ぶ。今年、その「背番号10」を継承したのが田中勇次だ。しかし1年前の田中には、自分が主将に任命されるなどとは、全く予想だにしていなかった。
2011年4月、柳川大樹はリコーブラックラムズの一員としてスタートを切った。スピードや敏捷性の部分は、社会人に入っても通用した。しかし、ことコンタクト勝負になると、簡単に跳ね飛ばされる日々が続いた。特に、同僚の外国人選手との競り合いでは、全く歯がたたない。「単純にフィジカルが強いということもあるのですが、長いリーチを生かして相手を懐に入れさせない巧さも備えているんです」。柳川は、トップリーグのレベルの高さを実感していた。そんな5月、柳川に思いもよらぬ知らせが届く。7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表セレクション合宿への参加要請を受けたのだ。
トライアスロン女子でロンドン五輪の日本人選手の出場枠は現状3枠。そのうちひとつは既に上田藍(シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)が内定している。残る2枠は4月から5月にかけて行われるITU(国際トライアスロン連合)ワールドトライアスロンシリーズの3大会のレース内容などを踏まえて決定する。原則として3位以内に入れば、その時点でロンドン行きの切符が得られる。
高校ラグビーの3大大会と言えば、全国高等学校選抜ラグビーフットボール大会(春の熊谷)、全国高等学校ラグビーフットボール大会(冬の花園)、そして国民体育大会だ。国体に出場するオール徳島(徳島県高校選抜)に選ばれるためには、所属高校の監督の推薦を受け、選考会に参加する必要がある。柳川大樹は2年間で大きな成長を遂げ、3年時にはチームに欠かせない存在となっていたが、監督の川真田洋司は彼を選考会に推薦しなかった。ただ、それは選抜メンバーとしての実力がないからではなかった。川真田にはある考えがあった。
元日本スーパーウェルター級王者で、現在もOPBF東洋太平洋同級王者を保持するチャーリー太田(八王子中屋)のアメリカ凱旋試合が間近に迫っている。 今週末の3月17日。チャーリーは生まれ故郷であるニューヨークのマディソンスクウェア・ガーデンでキャリア初の試合を行なう。
2月末、私は「東京マラソンEXPO」でのトークショーを前に少々緊張していた。マラソンや自転車界では多くの方とこのような舞台に立ってきたのだから、それほど緊張することはないのだが、今回はちょっと勝手が違ったのだ。この日のお相手は福士加代子選手。彼女にとっては、失速して9位に終わった1月の大阪国際女子マラソン以来、初めての公の場なのだ。どのくらいのトーンで、どの程度の話までしていいのか……。しかし、控室に入ってきた彼女は予想以上に明るい声で「あっ、なんでもOKっすよ。だって隠すことないもん!」とあっけらかん。いつもの福士選手が戻っているのに拍子抜けした。