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ジャイアンツがこの3年間で2度目となるワールドシリーズ制覇を果たし、2012シーズンも終了。MLBはストーブリーグに突入し、各チームが来季に向けて動き出し始めている。 ニューヨークでは、今季のアメリカンリーグ優勝決定シリーズ(ALCS)でタイガースにスイープ負けを喫したヤンキースの動向に大きな注目が集まっている。シーズン中はリーグ最高の成績を挙げたとはいえ、プレーオフでは無惨な形での敗北を喫したことから、ファン、関係者は2012年を“失敗のシーズン”と認識している感があるのは事実だ。それを受けて迎える今冬は、「プレーオフを逃した2008年以来、最も重要なオフ」とさえ言われている。
: 竹下さんと大友さんは NEC時代からずっと一緒にプレーしてきました。今回のロンドン五輪でも、大事な場面でコンビプレーが決まっていましたね。 : 特に予選のイタリア戦は、試合には負けましたが、彼女の動きは抜群に良かったですね。イタリアにはシモーナ・ジョーリというベテランのセンターがいるんです。これまでさまざまな大会で MVPやベストブロッカー賞、ベストスパイカー賞を獲得してきた、世界のトッププレーヤーの一人なのですが、イタリア戦ではそのジョーリが日本にいるのかと思ったくらいです。
「レギュラーとしてもう一度勝負したい」 橋本は2009年のオフ、大きな決断をする。15年間在籍したロッテからのFA宣言だ。前年に国内のFA権を取得した橋本は、その時も権利を行使するか迷っていた。キャッチャーというポジション柄、宣言すれば阪神や福岡ソフトバンクなどが獲得に乗り出すと報じられていた。
: 全日本女子にとって一番のポイントとなった準々決勝では、北京五輪銅メダルの中国にフルセットの末に勝利しました。最後の第5セットは18−16。まさに死闘でした。 : 気持ちの部分で中国よりも勝っていたことが、勝利につながったのだと思います。あの試合は、1点1点を辛抱強く全員で取りにいっていましたし、たとえラリーが続いても、それを取り切る強さもありました。私たちは、全日本女子がずっと突破することができずにいた準々決勝にかけていた。その気持ちが前面に出ていたと思います。だから途中で点数を開けられても、必ず追いつけるという自信が、プレーしていく中で芽生えていましたね。
: 大友さんにとっては2大会ぶり2回目の出場での銅メダル獲得でした。 : 銅メダルが決まった瞬間は、頭が真っ白になりました。とにかく「終わったんだ」ということだけでしたね。
レギュラー目前と思われた橋本に立ちふさがった新たな壁、それが同世代のライバルだった。翌2001年には2学年年上の清水正海が再びレギュラーとしてマスクを被ると、03年からは同い年の里崎智也がレギュラーとして起用された。2軍での実績は十分にかかわらず、控えキャッチャーとして1軍でも満足に起用されない日々。その不満を、思わずオフの契約更改の席で担当者にぶつけてしまったこともあった。
大方で予想された以上のノニト・ドネアの完勝だった。 10月13日にカリフォルニア州カーソンで行なわれたWBC・WBO世界スーパーフェザー級タイトル戦で、王者のドネアがWBC同級名誉王者の西岡利晃に9ラウンド1分54秒TKO勝ち。序盤から軽々とペースを掌握したドネアは、1ラウンドから着々とポイントを奪取していった。6ラウンドには左アッパーで西岡をダウンさせると、9ラウンドには右カウンターで再びダウンを奪ってのストップ勝利。スピードとスキルで力の差を見せつけ、最高の体調で大一番に臨んだという日本の雄をまったく寄せ付けなかった。
: 1988年ソウル以来、6大会ぶりに準々決勝を突破し、準決勝ではブラジルと対戦しました。ブラジルには、昨年のワールドカップでストレートで勝っています。勝てない相手ではないと思って見ていたのですが、結果はストレート負けでした。 : ブラジルは、予選では韓国にストレート負け、アメリカにも負けて、グループ4位と決勝トーナメント進出ギリギリだったんです。ところが、準決勝でのブラジルは、予選の時とはガラリと変わっていました。とにかく強かった。ここ1、2年は少し衰えが見えていたので、久しぶりにあんなに強いブラジルを見たというくらいの完敗でした。
「自分の身体がいつまでも自由に動く」と思っているのは、若い間だけ。加齢とともに、いろいろと不具合が出てきて現実を思い知るのは人類皆同じである。何の痛みも、何の制限もなく動けて、食べられることがどんなに幸せかというのは、それを失いかけて、もしくは失ってから気付くものだ。
「このままでえぇんやろか……」 ちょうど1年前、西田宗城はひとしきり悩みを抱えていた。車いす陸上を始めて6年。はじめは趣味の域であったが、徐々に力をつけてきた西田は2010年9月からは「パラリンピック強化指定選手」に選ばれている。自身も、ここ1、2年はパラリンピックへの思いが強まり、競技者としてさらなるレベルアップを目指してきた。だが、世界の舞台で活躍するトップ選手たちとの距離は、なかなか縮まらない。その要因のひとつには、練習量の絶対的な差があった。
プロ1年目の春のキャンプで多くの新人は洗礼を受ける。これまでアマチュアでやってきた野球とのレベルの違いを思い知らされるのだ。強打のキャッチャーとしてドラフト3位で入団した橋本も例外ではなかった。まず度肝を抜かれたのが、他のキャッチャーたちの肩の強さだった。 「チームの先輩だと定詰(雅彦)さん、他球団だと中嶋(聡、当時オリックス)さん。スローイングを見て、“何なんだ、この人たちは!”とビックリしました」
ロンドンでの女子バレーボール“火の鳥ジャパン”の快挙は今も記憶に鮮明だ。準々決勝では五輪史上初めて中国を破り、3位決定戦では韓国にストレート勝ち。アジアのライバル勢を倒し、ロサンゼルス五輪以来、実に 28年ぶりのメダルを獲得した。その原動力となったのが、 JTマーヴェラスの主力として活躍してきた竹下佳江(9月末で退団)と大友愛だ。そこで二宮清純が2人にロングインタビューを敢行。五輪での壮絶な戦いの舞台裏に迫った。
「最初からバッティングはすごかったですよ。特に引っ張った打球はめちゃくちゃ飛んでいましたね」 橋本の少年時代について、そう教えてくれたのは東京ヤクルトの宮出隆自だ。宮出は橋本の1年後輩にあたる。宇和島市の和霊小、城北中、宇和島東高、そしてプロ……後を追いかけるように同じ道を歩んできた。
1957年9月、MLBのブルックリン・ドジャースが今はなきエベッツフィールドで最後の試合を行なってから丸55年――。 久々にブルックリンに誕生したメジャースポーツチームが、ニューヨークで大きな話題を呼んでいる。昨季までニュージャージー・ネッツとして活動してきたNBAチームが、今季からブルックリンに移転。新生“ブルックリン・ネッツ”となり、オープンしたばかりバークレイズセンターで新たな歴史を築き始めようとしているのだ。
「Crying Queen(クライング・クイーン)」――6年前のとある時期、平井美鈴は所属する「東京フリーダイビング倶楽部」のメンバーたちにそう呼ばれていた。きっかけは2006年12月にエジプトで行なわれた世界選手権だった。初めて日本代表として出場した平井は、その大会で「コンスタントウエイトウィズフィン」という種目で日本新記録となる61メートルを達成した。水面に上がると、「おめでとう!」という声とともに拍手が沸き起こった。感極まった平井は、その場で号泣したという。あまりの号泣ぶりに日本のフリーダイビング界の第一人者でもある市川和明に「オマエはCQだ!」と名付けられたのだ。 「そう呼ばれるのは恥ずかしくもありましたけど、嬉しかったりもしたんですよね(笑)」 初めて日本記録保持者となった平井への愛情のこもった“贈り物”だった。
故郷・愛媛で野球をするのは高校時代以来、実に18年ぶりのことだ。 宇和島東高を経て千葉ロッテ、横浜の2球団で活躍した橋本将は今季、地元の独立リーグである四国アイランドリーグPlusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーしている。中軸に座り、DHやキャッチャーとして63試合に出場。打率.276、4本塁打、34打点の成績でチームの後期優勝に貢献した。
: 高橋さんはイタリアで2シーズンプレーしています。イタリアのお酒といえば、やっぱりワイン。おいしいワインがたくさん味わえたのでは? : それが体質的にワインが合わなくて、あまり飲めなかったんです……。でも周りの選手は皆、お酒好きで、普通に昼間からワインを飲んでいましたよ。
: ロッテに入ってNPBの壁は感じませんでしたか? : 2軍に関しては独立リーグとの差はあまりなかったです。でも1年目から1軍に上げていただいて、1軍と2軍の壁は大きく感じましたね。レベルが一回りも二回りも違う。
6階級制覇王者マニー・パッキャオの次戦が正式決定した。 12月8日、ラスベガスにて、WBO世界スーパーライト級王者ファン・マヌエル・マルケスと対戦する(試合は147パウンドのウェルター級リミット)。この2人は2004年、08年、昨年とすでに3度も激突しており、いずれも大接戦ながらパッキャオの2勝1分。「またか」と少々うんざりしたような声も聞こえてくる。
連休最中の9月16日、普段は家族連れなどで賑わうお台場のビーチがウエットスーツ姿の人で溢れかえっていた、通常は遊泳禁止となっているこのビーチで開催される「東京アクアスロン2012」の参加者たちだ。「アクアスロン」とは、水泳とランニングの複合競技の名称で、これに自転車が加わると3つで「トライ」、そう「トライアスロン」となるわけだ。なので、アクアスロンの参加者もトライアスロン愛好者や、トライアスロン参加の準備段階という方が多い。休日のお台場がその参加者たちのエネルギーに溢れていた。
「うわぁ、かっこいいなぁ。私もやってみたい……」――平井美鈴は目の前の映像に目を奪われていた。海外の大会PR用に製作されたフリーダイビングのビデオに映し出されていたのは、それまで見たことのなかった色鮮やかなウエットスーツに身を包んだダイバーたちの美しい姿だった。 「まるでイルカのように優雅に水中に潜っていく姿が、かっこよく見えたんです。『こんなに美しいスポーツってあるんだ……』と思いました」 それからというもの、平井は来る日も来る日もそのビデオを観続けた。いつの間にか、フリーダイビングの世界へと引き込まれていた――。
: 高校の時にプロや社会人、大学からの誘いはなかったんですか? : 社会人に進む可能性はあったのですが、3年夏の県大会もすぐに負けてしまって話が立ち消えになってしまったんです。
: お会いするのは1年ぶりでしょうか。今回の対談場所『ラ・ソラシド』を選んだのはプロデューサーを務める奥田政行さんが、実は高橋さんと同じ山形県出身だったから。スカイツリーが見渡せる素晴らしいレストランで、そば焼酎を楽しみたいと思います。 : やった! 山形生まれで得しましたね。帰って皆に自慢できます(笑)。
高橋尚子には小出義雄がいたように、北島康介には平井伯昌がいたように、ロンドンパラリンピック車いすテニス男子シングルスで同種目史上初の2連覇を達成した国枝慎吾には丸山弘道という名伯楽がいた。いた、と過去形にしたのはロンドンを最後にコンビ解消を明言したからだ。その理由は「国枝慎吾を負かす選手を育てたくなった」。いかにも丸山らしい。
: 角中選手は石川県七尾市の出身です。あの大相撲の元横綱・輪島さんとも同郷になります。野球を始めたきっかけは? : 父が元高校球児で、小学校低学年になったら半強制的に野球をやらされていました(笑)。4人兄弟で、僕と3つ下の弟が野球をやっていましたね。左打ちにさせられたのも初めてすぐの頃です。「左の方が一塁までの距離が短いから得をする」と。