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現地時間18日、世界卓球選手権6日目が行われ、男子ダブルス準決勝で水谷隼(beacon.LAB)、岸川聖也(スヴェンソン)組が馬琳、ハオ・シャイ組(中国)に0−4(7−11、9−11、10−12、12−14)で敗れた。同種目44年ぶりの決勝進出はならなかったが、世界卓球では3位決定戦を行わないため、銅メダルが確定。水谷、岸川組は09年の横浜大会以来の銅メダル獲得となった。男子シングルス4回戦では、松平健太(早稲田大学)がウラディミル・サムソノフ(ベラルーシ)を下し、準々決勝進出。34年ぶりのメダルまで、あと一歩と迫った。
かつてオリックス・バファローズでも指揮を執ったテリー・コリンズ監督が率いるメッツに、新たなエースが台頭して全米的な話題を呼んでいる。 新星の名は、マット・ハービー。昨季にデヴューした24歳の本格派右腕は、今季ここまで4勝0敗、防御率1.44と、ほぼ完璧な投球を続けてきた。193cm、102.1kgの恵まれた体格から投げ下ろす速球、スライダーは威力十分。5月7日のホワイトソックス戦では7回まで完全試合を続け、老舗「スポーツ・イラストレイテッド」誌でも表紙を飾った。
私の5月は忙しい。自社で主催しているトライアスロン大会が1つ。JSPORTSでLive中継担当するサイクルロードレースが、3週間続くジロ・デ・イタリアと、8日間のツアー・オブ・カリフォルニアと2つある。どれも非常に興味深いモノばかりで、これを仕事にできることを幸せに思う。そしてさらに、19日からは国内最大のステージレース(複数日間続くロードレース)であるツアー・オブ・ジャパン(TOJ)も開催される。こちらも会場MCを担当しているものだから、昼夜問わず、国内外あちこちに移動し続けることになる。なんと、楽しくて、なんとハードで落ち着かない1カ月だろうか!?
小松が世界を意識し始めたのは高校1年の時だ。インターハイのペア200メートルを優勝し、ジュニアの日本代表としてアジア選手権に出場した。自身にとって初の国際大会で3位入賞を収める。 「高校1年でメダルを獲れたのだから、頑張れば世界と戦えるかもしれない」 それ以来、「世界で勝つこと」を目標にカヤックを前へ進めてきた。
現地時間13日、8日間行なわれる世界卓球選手権(個人戦)パリ大会が開幕した。卓球NIPPON(日本代表の愛称)からはロンドン五輪女子団体銀メダリストの福原愛(ANA)、石川佳純(全農)、平野早矢香(ミキハウス)や、同五輪男子代表の水谷隼(beacon.LAB)、丹羽孝希(明治大)ら男女16名の代表たちが世界へと挑む。前回のロッテルダム大会では、全5種目の金メダルを中国が持ち帰った。昨夏のロンドン五輪でも全4種目で金メダルを総ナメ。卓球NIPPONにとって、“打倒中国”が至上命題である。近年、団体やダブルスではメダルを獲得しているが、シングルスでは男子が34年、女子が44年遠ざかっている。悲願の表彰台へ向け、本日からいよいよ本選がスタートする。
石橋良太には歳の離れた2人の兄がいる。幼少時代はサッカーに夢中になっていた石橋だが、2人の兄の影響もあって、小学1年から地元大阪府堺市の軟式野球チーム「長曽根ストロングス」に入った。最初は特に野球が好きだったわけではなかったという。野球が面白いと思い始めたのは小学4年の時。自分がピッチャーとして投げた大阪府の大会で優勝し、それをきっかけに勝つことに快感を覚えたのだ。
2011年秋、石橋良太はそれまで抱いていたモヤモヤ感がなくなっていくのを感じていた。投手として生きる覚悟を決め、気持ちを切り替えて本気で取り組んでいこうと腹を据えたのである。石橋は、高校2年まで内野手として活躍し、甲子園にも出場した。拓殖大学入学後も自らは内野手としてやっていくつもりだった。だが1年春、打率1割台と不振にあえいだ石橋は高校3年時にエースとして活躍したピッチングを買われ、投手に転向した。だが、内心では野手としての道を捨て切れずにいた。そんな中途半端な気持ちを払拭させたのが、中央大学との1部・2部入れ替え戦だった。
4月最後となった30日のアストロズ戦は、今季ここまでのヤンキースの足取りを象徴するかのようなゲームだった。 先発した黒田博樹は立ち上がりは制球に苦しみ、3回までに67球を投げる厳しい内容。毎回のように得点圏に走者を背負う投球を観る限り、長く辛い夜になってしまうかと思われた。
次世代の水上スプリンター。自らをそう称して世界へ挑む若者がいる。 小松正治、21歳。この3月に香川・府中湖で開催されたカヌースプリント海外派遣選手権選考会で好成績をあげ、自身初の日本代表入りを果たした。カヤックシングル200メートルで3位、同ペアでは優勝を収めた。
5月3〜5日の3日間にわたって、内閣総理大臣杯争奪第41回日本車椅子バスケットボール選手権大会が東京体育館で行なわれる。今年の最大の注目は、宮城MAX、史上初の5連覇なるか――。
「弓道は自分と的との勝負――これに尽きます。すなわち、的に負けるということは自分に負けるということです」。法政大学体育会弓道部監督の藤井俊雄はこう語っていた。その意味で、川田悠平は自分との勝負に勝った。大学3年の4月、川田に再び的中が戻ってきたのだ。「矢数をかけることで、的中する感覚に体が慣れてきました。それがつながったという感じですね」と本人は分析した。スランプを脱した川田はその後、顔面麻痺を患いながらも全国学生弓道選抜大会、全日本学生弓道選手権の優勝に貢献していく。そんな大学3年のシーズンで、川田は「ここ最近で一番悔しい」と振り返る出来事も経験していた。
「高校の部活とは違い、多くの決まりがありましたので、最初は戸惑いました」 川田悠平が法政大学体育会弓道部に入部して、最初にぶつかった試練が「言葉づかい」だった。同部では、年上の人に対してはたとえば「僕」ではなく「自分」、「きのう(昨日)」ではなく「さくじつ」、「今日」ではなく「本日」などと普段とは異なる言い方をしなければならない。「慣れるまでが大変でしたね。ポロッと『僕』と言ってしまって先輩によく叱られました(苦笑)」。この言葉の習得に、川田は時間をずいぶんと要した。
【注目の一戦はリゴンドーの完勝】 “スーパーバンタム級の頂上決戦”と評判を呼んで4月13日に行なわれたWBO世界同級王者ノニト・ドネア対WBA世界王者ギジェルモ・リゴンドーの一戦は、ふたを開けてみればリゴンドーの圧勝に終わった。 序盤にミドルレンジからカウンターを打ち込んで相手を警戒させ、中盤は足を使ったアウトボクシング。そして終盤11ラウンドから再びペースを上げたキューバ人は、最終ラウンド、右目が腫れて塞がりかけたドネアに容赦ない左を浴びせて試合を締めくくった。
アベノミクスで景気が向上しているらしいが、スポーツイベント業界は苦戦が続いている。それは、私が関与することが多いマラソンイベントも同様だ。飛躍的に増えた愛好者人口とは裏腹に、各地のイベントは存続をかけて戦っている。
: ハンググライダーをやろうと思ったきっかけは? : 空を飛びたい。これが小さい頃からの夢でした。影響を受けたのはジブリ作品ですね。たとえば「風の谷のナウシカ」のメーヴェ(登場人物が移動に使っていた飛行装置)。ああやって空を自由に飛べたらいいなと思っていました。他にも「天空の城ラピュタ」や「魔女の宅急便」にも触発されました。中学の時にはスカイダイビングのインストラクターになりたかったほどです。高校を卒業するにあたっても、ハンググライダーサークルがある大学を探して受験しました。
「悔しさしかなかったですね」 川田悠平がこう振り返ったのは、高校2年時のインターハイ(埼玉・川越アリーナ)だ。高知県予選で初めて団体優勝した岡豊高校だったが、全国の舞台では20射8中に留まり、予選敗退。川田自身も4射2中と、振るわなかった。大舞台ならではの雰囲気も川田らを苦しめた。「会場がすごく広くて、今まで経験した試合とは雰囲気がまったく違っていました。3方向からギャラリーに見られていますし、カメラマンもいる。やはり、緊張していましたね(苦笑)」。県大会で味わった初優勝の喜びも束の間、川田は全国の厳しさを痛感した。
「オレ、高校で弓道やるつもりだから、川田もやれば?」 川田悠平を弓道に引き合わせたのは、中学校時代の友人の何気ない提案だった。川田は高知県立岡豊(おこう)高校に、その友人は別の高校に進むことが決まっていた。川田は中学校まで特にスポーツをやってきたわけではなかったが、高校進学を機に運動部への入部を考えていた。しかし、その時は、「弓道か……」と少し考える程度で、入部を決意するには至らなかった。それでも入学後、まずは弓道部へ見学に行くことにした。
【ダルビッシュは“エース”へと進化するのか】 2013年MLB最初の“マスターピース(絶品のパフォーマンス)”は、レンジャーズの開幕2戦目に先発したダルビッシュ有よりもたらされた。 4月2日のアストロズ戦で、ダルビッシュはなんと9回2死までパーフェクトを続ける快刀乱麻。最後の最後で無名選手にセンター前ヒットを許して大記録達成はならなかったものの、14三振を奪うほぼ完璧な投球で全米を騒然とさせた。
世界で一番、鳥に近い人間になる――大きな夢を抱いて空を飛び続ける選手がいる。ハンググライダーの鈴木由路だ。ハンググライダーはベルトに吊り下げられた状態で、三角状になっているバーを操作しながら上昇気流をつかまえ、高く舞い上がる。競技では2000メートルから3000メートル上空を飛び、100〜200キロ先の目的地にいかに早くゴールするかを競う。この1月、自身3度目の世界選手権(オーストラリア)に出場した鈴木に、ハンググライダーの魅力や奥深さを二宮清純がインタビューした。
神奈川県川崎市にある法政大学体育会弓道部の道場には、優勝または1位以外の賞状やトロフィーは飾られていない。全国学生弓道選抜大会(選抜)と全日本学生弓道選手権大会(全日本)を各9度制し、全日本学生弓道王座決定戦(王座)では12度優勝――。そんな“常勝”法大弓道部の主将が、川田悠平だ。
2012年夏、ロンドン五輪で日本バドミントン界の歴史に新たな1ページが刻まれた。女子ダブルスで藤井瑞希&垣岩令佳組が銀メダルを獲得し、日本勢初のメダリストとなったのだ。一方、ロンドン行きは叶わなかった橋礼華&松友美佐紀組。ロンドンで日本代表の先輩“フジカキ”が快挙を成し遂げていた頃、“タカマツ”も異国の地で殻を破ろうとしていた。
僕は反省していた。弱い自分を情けなく思いながら、叱咤していた。周囲から見ているとただ自転車に乗ってペダルを回しているだけだが、頭の中では自分をなじり、反省しきりだったのである。
「日本代表選手になりたい」 小学生の頃、オリンピックで日の丸をつけて戦う姿を見て憧れを抱いた。それ以来、ずっと思い描いてきた夢。それがラートという競技との出合いによって確かな目標となり、そして現実のものとなった。しかし、それで満足することはできなかった――。 日本ラート界を牽引する存在となりつつある堀口文。今、彼女の視線の先にあるのは、世界だ。
「小学生の頃から取材をしていただいた時には、“将来はオリンピックに出たい”と言っていました。でも、やっぱり夢というか……。テレビで他の競技を見ていても、華があって、いっぱい取り上げられているオリンピックの大会で、“自分も戦いたい”“いつか出たいな”と思っていました」 4年に1度のスポーツの祭典であるオリンピックは、多くのアスリートにとって、頂点の大会という位置づけにある。バドミントンプレーヤーの松友美佐紀も同じだった。ただ、その頃の彼女にとっては、まだ漠然とした夢にすぎなかった。しかし時を経るにつれ、その想いは徐々に輪郭を帯びていった。
第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もそろそろ佳境を迎え、現地時間3月15日には決勝トーナメントに進出する4チームが出揃う。 1組から日本、オランダが勝ち進んだのに続き、14日にはドミニカ共和国がアメリカ合衆国を下して準決勝進出決定。さらに15日にはアメリカ、プエルトリコが最後の椅子を争い、翌日には順位決定戦が行なわれる。