プロ野球

日本ハム・武田勝、球速133キロでも勝てる理由

 斎藤佑樹フィーバーで今季、例年以上の注目を集めている北海道日本ハム。このチームのエースといえばダルビッシュ有である。だが、この左腕も忘れてはいけない。今季プロ6年目を迎える武田勝だ。昨季は自己最多の14勝(7敗)をあげ、ダルビッシュ(12勝)を上回ってチームの勝ち頭となった。130キロ台のストレートながら、パ・リーグの強打者たちを打ち取れる秘密はどこにあるのか。二宮清純が春季キャンプ地の名護を訪ねた。

第431回 開幕投手の「苦い味」を知る者の心中は…… 東北楽天・佐藤義則1軍投手コーチ

 開幕投手を誰にするか。これはピッチングコーチにとって一番、頭の痛い問題である。あちらを見れば、こちらが立たず、というわけだ。  自他ともに認める大エースがいれば、頭を痛める必要はない。しかし、同等の力を持つピッチャーが複数いた場合、誰を指名するか悩むことになる。

中大・高橋監督「巨人・沢村が2ケタ勝つ条件」

 2011年のプロ野球は大学出身ルーキー投手が花盛りだ。その中でも、開幕ローテーション入りを確実としているのが157キロ右腕の巨人・沢村拓一(中大)である。身長183センチ、90キロの偉丈夫。下半身もガッチリしており、体格だけなら江川卓や野茂英雄にも見劣りしない。  高校時代は無名だったこの沢村を育てたのが、中央大学硬式野球部監督の高橋善正である。サイドスローからのシュートやシンカーを武器にし、東映、巨人で60勝81敗7セーブ、防御率3.34という成績を残した。1971年にはプロ野球史上12人目の完全試合を達成している。  プロのレベルを知る高橋の目に沢村は、どう映っているのか。二宮清純が直撃した。

東北楽天・田中将大「エースへの道」(後編)

 それにしても、兵庫県伊丹市生まれで宝塚ボーイズでプレーしていたマー君はなぜ北海道にまでやってきたのか。  これには理由がある。最初は奈良の智弁学園に入学する予定だった。ところが指導を仰ぎたいと考えていた監督が学校を去ったことでこの話は立ち消えとなった。

田尾安志(野球解説者)<前編>「斎藤佑樹への期待と課題」

: 今回は雲海酒造さんの地元でもある宮崎から対談をお届けします。宮崎といえば春はプロ野球のキャンプですね。シーズン開幕も間近ですし、田尾さんとをいただきながら、今季の注目選手などを語り合いたいと思っています。 : 朝まででもお付き合いしますよ(笑)。よろしくお願いします。

第22回 低反発球で野球が変わる?

 今季のプロ野球は大きく様変わりするかもしれない。   2011シーズンよりプロ野球では12球団統一で低反発の公式球が使用される。いわゆる飛ばないボールだ。インパクトの瞬間のボールの飛び出し角度やスイングスピードにもよるが、140キロ台中盤のストレートだった場合、従来より1、2メートル、飛距離が落ちると言われている。

東北楽天・田中将大「エースへの道」(前編)

 東北楽天ゴールデンイーグルスの若き右腕が、チームのエースに挑戦状を叩きつけた。  今季プロ5年目を迎える田中将大だ。プロ4年間で46勝を積み上げた。五輪、WBCでは日本代表も経験し、ここまで順調に成長を続ける若武者は今季、エースの岩隈久志から開幕投手の座を奪いにいく。チームの大黒柱としての自覚が芽生え始めた彼のきっかけはどこにあったのか。絶対的エースの道へとひた進む22歳に二宮清純がキャンプ地の久米島で取材を敢行した。

投げろユーセイ! 打てドウバヤシ!

 まだ3月になったばかりのウイークデーのナイトゲームだというのに、観衆なんと3万4722人! 3月2日に行なわれた東京ドームの埼玉西武−巨人オープン戦である。  観る側の期待値がいかに高かったかの証左だが、その関心の大半は、西武先発のルーキー大石達也にではなく、巨人先発ルーキーの沢村拓一に向けられたものだったのではないだろうか。「巨人に怪物が入ったらしい」という高揚感が、まだ潜在的には巨人ファンとして、世に沈潜しておられた東京近辺の多くの人々の、ヒーロー待望論的興味を一気に掘り起こしたといおうか。

第428回 先発神話を覆して「大魔神」の道を歩む? 埼玉西武・大石達也投手

 日本野球では「先発に失敗した者がリリーフに回る」という考え方がまだ一般的だ。メジャーリーグでは通算601セーブのメジャー記録をもつ元ブルワーズのトレバー・ホフマンのように、最初からリリーフ一筋という例が少なくない。

第73回 進化し続けるダルビッシュ

 今月1日にスタートしたプロ野球のキャンプも大詰めを迎え、各球団ではトレーニングから紅白戦や練習試合など実戦へと移っています。私もいくつかの球団のキャンプ地を取材しましたが、どこも活気に満ち溢れ、徐々に開幕が近付いてきていることが感じられました。なかでもやはり一番人気は北海道日本ハム。これまでも何度か訪れていますが、球場までの道のりで渋滞などほとんど記憶にありませんでした。ところが、今年は高速道路を下りる前から渋滞し、球場へ行くのにも一苦労でした……。 “佑ちゃん人気”は本当にすごかったです。

第427回 意義深い高津の独立リーグ挑戦

 通算セーブのプロ野球記録を持つ元東京ヤクルトの高津臣吾が独立リーグ・BCリーグの新潟アルビレックスに入団することが決まった。  高津はNPBで286セーブ、メジャーリーグで27セーブ、韓国で8セーブ、台湾で26セーブと日米韓台の4カ国でセーブをあげている国際派のピッチャー。今年から新潟の監督を務める元ヤクルトの橋上秀樹から「若い選手に投げる姿勢を見せて欲しい」と“手本”の役割を求められている。

埼玉西武・中村剛也「理想は滞空時間の長いホームラン」

 今季、パ・リーグのホームラン王争いの本命といえば、この男になるだろう。埼玉西武の4番・中村剛也だ。昨季は故障もあって3年連続のタイトルこそ逃したものの、85試合の出場で25本塁打をマークした。“飛ばないボール”への統一に伴い、本塁打数の減少が予想される今季だが、昨季のホームラン王T−岡田(オリックス)や才能開花の兆しがみえる中田翔(北海道日本ハム)らとアーチ合戦を繰り広げそうだ。今や球界を代表する和製大砲にホームランへのこだわりを月刊誌『小説宝石』(光文社)上で当HP編集長・二宮清純が訊いた。

プロ野球、開幕一軍への戦いがスタート

 2月1日から春季キャンプがスタートしたプロ野球では、18日からオープン戦がスタートする。今季は斎藤佑樹(北海道日本ハム)、大石達也(埼玉西武)、澤村拓一(巨人)をはじめ、注目のルーキー投手がズラリと顔を揃えている。紅白戦や練習試合で順調な仕上がり具合を見せている彼らが、開幕一軍の切符をかけて行なわれるオープン戦でどんなピッチングを見せてくれるのか。さらには新たなスター選手の出現にも注目したい。

野村克也「ダルビッシュに攻略法あり!」

 ルーキーが注目を集める今季のプロ野球だが、もちろん昨季まで主役を張ってきた選手たちも、その座を譲るつもりはないだろう。ダルビッシュ有や岩隈久志、中島裕之といったスターたちは今オフのメジャーリーグ挑戦も囁かれており、日本でのラストイヤーとなるかもしれない。果たして難攻不落のダルビッシュを攻略する秘策はあるのか? そして、3強3弱の構図が色濃いセ・リーグの行方は? 知将・野村克也へのインタビューを引き続きお届けする。

優勝への弧

 この緩やかに弧を描くような軌道は、どこかで見た覚えがある――。  瞬間的にそんな記憶の断片をたぐりながら、長友佑都(インテル)のセンタリングを眺めやったような気がする。  長嶋茂雄さんだったら、「センタリングのボールの、あのアークが……」とでもおっしゃるだろうか。

45歳・山本昌、永遠の野球少年(前編)

 NPB最年長選手となった左腕は28年目のシーズンを沖縄・読谷村でスタートした。この8月で46歳になる中日・山本昌だ。今季、白星をあげれば工藤公康(前埼玉西武)を抜き、24年連続勝利のプロ野球記録を樹立する。高卒でプロ入り後、4年目まで0勝ながら、そこから210個の白星を積み重ねてきた。生き馬の目を抜く厳しいプロの世界で長く活躍できた理由はどこにあるのか。二宮清純が自主トレ中のベテランにロングインタビューを敢行した。

メジャー移籍断念の真相 〜岩隈久志インタビュー〜

 東北楽天のエース岩隈久志は昨年オフ、ポスティングシステムによるメジャーリーグ挑戦を希望していた。ところが落札したオークランド・アスレチックスとの交渉がまとまらず、今季は楽天に残ってプレーする。なぜ岩隈は移籍を断念したのか。「1年間戦ってチームを引っ張って優勝したい」。気持ちを切り替え、新たなシーズンに臨む右腕を二宮清純が直撃した。

野村克也「オレなら斎藤佑樹を2ケタ勝たせられる」

 2月1日、プロ野球12球団は九州、沖縄で一斉にキャンプインした。今季の注目は何といっても北海道日本ハムにドラフト1位で入団した斎藤佑樹らルーキーたちの活躍だ。昨年のドラフトでは12球団中8球団が大学、社会人出の即戦力投手を指名しており、彼らの成績がチーム順位を大きく左右する可能性もある。またパ・リーグでは星野仙一新監督率いる東北楽天や、昨季5位に終わったオリックスが大型補強を敢行。戦国時代に更なる拍車がかかりそうだ。2011年のプロ野球を知将・野村克也はどう見ているのか。二宮清純がインタビューを試みた。

第424回 球界最年長投手が抱く「28年目の不安」 中日・山本昌投手

 NPB(日本プロ野球組織)における現役最年長投手である。いったい、誰がプロ入り時に今の山本昌(本名:昌広)の姿を予想し得ただろう。  1984年に神奈川の日大藤沢高からドラフト5位で入団。最初の4年間は勝ち星なし。その間、何度も解雇の危機に見舞われた。

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