プロ野球

侍ジャパン、欧州代表に敗れる 〜GLOBAL BASEBALL MATCH 2015〜

 日本代表の侍ジャパンが欧州代表と対戦する「ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015」は11日、東京ドームで第2戦を行い、侍ジャパンは2−6で敗れた。侍ジャパンは先発の松葉貴大が3回5失点と大誤算。中盤に山田哲人(東京ヤクルト)のソロなどで反撃したが及ばなかった。 (東京ドーム) 日本代表     2 = 000002000 (日)●松葉−井納−武田−松井 (欧)○マークウェル−ナカル−ゾマー−ストゥイフベルゲン 本塁打 (日)山田ソロ       (欧)デカスター3ラン

侍ジャパン、欧州代表に逆転勝ち 〜GLOBAL BASEBALL MATCH 2015〜

 日本代表の侍ジャパンが欧州代表と対戦する「ひかりTV 4K GLOBAL BASEBALL MATCH 2015」は10日、東京ドームで第1戦を行い、侍ジャパンが4−3で勝利した。侍ジャパンは中盤までに3点を失い、7回まで1得点と苦戦を強いられる。だが8回、3連打で3点を奪って試合をひっくり返した。 (東京ドーム) 欧州代表     3 = 010200000 (欧)コルデマンス−マエストリ−エスカローナ−マルティス−●ファンミル (日)大瀬良−牧田−藤浪−○又吉−S西野

広島・菊池涼介「正面のゴロが一番難しい」

「忍者」「野生児」「破天荒」……。  どんな言葉で表現しても、その枠に収まりきらないスーパープレーを連発しているのが広島の菊池涼介である。セカンドでのシーズン補殺数日本記録を2年連続で更新。侍ジャパンにも昨年の日米野球に続いて選出され、今や日本を代表する内野手だ。広すぎる守備範囲と、アクロバティックな動きを本人はどうとらえているのか。二宮清純がキャンプ地の沖縄でインタビューした。

金子千尋が明かす“対戦したくないバッター”

 全部真っすぐの回転をして、バッターの手元で勝手に変化するボールを投げたい――昨季の沢村賞投手、オリックス・金子千尋が目指す究極のピッチングだ。多彩な球種をカウント球、ウイニングショットの両方で使い、打者を翻弄する。昨季は12球団で唯一の防御率1点台をマークし、チームの2位躍進の原動力となった。オフには国内FA権を行使したものの、残留。悲願の優勝に向けて今季もチームを引っ張るエースに、キャンプ地の宮崎で二宮清純がインタビューした。

又吉(中日)、松井裕(楽天)らが初選出 〜侍ジャパン、欧州代表戦メンバー〜

 日本野球機構(NPB)は16日、東京ドームで3月10日、11日に開催される「GLOBAL BASEBALL MATCH2015」欧州代表戦に臨む日本代表(侍ジャパン)メンバー26名を発表した。昨年の日米野球に引き続いて藤浪晋太郎(阪神)、嶋基宏(東北楽天)、松田宣浩(福岡ソフトバンク)、中田翔(北海道日本ハム)、柳田悠岐(ソフトバンク)らが選ばれた他、松井裕樹(楽天)、又吉克樹(中日)、會澤翼(広島)、雄平(東京ヤクルト)の4名が初めて選出された。球団別ではソフトバンクがと広島が5名ずつで最多。昨秋の日米野球では1選手も選ばれなかった中日からも又吉と大島洋平が代表入りし、12球団によるチーム編成となった。

衣笠祥雄、“鉄人”の鋳型

“鉄人”と聞いて、真っ先に思い浮かぶアスリートが衣笠祥雄だ。1965年、広島に入団し、主力選手としてチームを5度の優勝と3度の日本一に導いた。プロ17年間で歴代5位の2677試合に出場し、2543安打は歴代5位、504本塁打は歴代7位タイの記録を持つ。70年10月から87年10月までで2215試合連続出場の世界記録(当時)を達成し、87年には国民栄誉賞に輝いた。“鉄人”の鋳型を作った猛練習について、二宮清純が訊いた。

“頭脳派”の異才 古田敦也<後編>

 プロから指名されなかった古田は社会人野球のトヨタ自動車に進む。これが結果的には吉と出た。  日本代表メンバーに選ばれ、1988年のソウル五輪に出場。日本代表では野茂英雄、潮崎哲也、石井丈裕、渡辺智男らそうそうたるピッチャーのボールを受けた。 「これは自信になりました。というより“何で、コイツらがプロに行ってないんや?”と思ったものです。皆、ストレートは楽に150キロ前後出るし、変化球はビュッと曲がる。西村龍次や、湯舟敏郎もドラフト1位ですけど、彼らですら、あの頃の日本代表には常時、入っていませんでしたから」

千葉ロッテ2位・田中英祐(京都大)「“京大初のプロ”を生み出した2つの転機」

 大学入学時は、野球部に入ろうとは思っていなかったという田中英祐。その彼が、なぜ京大野球部の連敗を止める立役者となり、そしてプロの道を切り拓くこととなったのか――。そこには「中学受験」、そして大学2年春の「京大連敗ストップ」という2つの転機があったという。「京大初のプロ野球選手」誕生の裏側に迫った。

広島2位・薮田和樹(亜細亜大)「ケガと戦い続けた末のプロ入り」

 188センチの恵まれた体格から150キロ超のストレートを投げる薮田和樹は、一級品の素材として早くから注目されてきた。しかし、主戦として活躍することが期待されていた大学4年間での登板は3年春のわずか2試合にとどまり、未勝利に終わった。高校時代から相次ぐケガに泣かされ、実力を発揮することができなかった薮田。果たして彼はそこで何をつかんだのか――。

上田哲之「控えの力」

 たとえば2月3日、広島版のスポーツ紙の一面は何だったと思いますか(たまたま、この日、広島に行っていたもので)。「九里 侍推し」(日刊スポーツ)「ジョンソン 頭脳派」(デイリースポーツ)「野間 8発全開」(スポーツニッポ […]

東北楽天3位・福田将儀(中央大)「プロへの道を切り拓いた同級生の助言」

 打撃開眼となったのは、最後の秋だった。福田将儀は4年秋のリーグ戦で、打率3割2分8厘をマーク。同年春まで1本も出ていなかったホームランも2本放ち、2年秋以来となるベストナインを受賞した。しかし、春は打率2割2分5厘と低迷し、秋の開幕1カ月前には右足の肉離れを起こし、チームを離脱している。果たして、秋の活躍は何が要因していたのか――。

中日5位・加藤匠馬(青山学院大)「大学で味わった初めての悔しさ」

 本格的にキャッチャーを始めたのは、高校1年の夏。強肩を武器に、甲子園の初戦では相手の盗塁をすべて刺すなど、加藤匠馬の野球人生は順風満帆だった。しかし、大学最後のシーズンはスタメンから外され、初めて悔しい思いを味わったという。不完全燃焼に終わった悔しさを糧に、さらに激しい競争が待ち受けているプロの世界に挑戦する。

岩田雄樹(トレーナー)<前編>「小川泰弘の強さは“精神”にあり」

「このピッチャーが、本当にすごいのかなぁ……」  これが2005年から創価大学野球部の専属トレーナーを務める岩田雄樹が、小川泰弘(東京ヤクルト)に持った最初の印象だった。 「小川を知ったのは、彼が創価大学に入学してからのことです。周りから『今年入った1年の小川というピッチャー、なかなかいいですよ』という話は聞いていました。実際に会ったのは1年の冬だったかな。正直、体は小さいし、あまり話さないので、印象は薄いものでした。とてもプロで新人王を獲るような選手には見えなかった。その頃は正直、プロに行けるとも思っていなかったですね」  しかしその印象は、すぐに覆された――。

決断と注目のとき――黒田とイチロー、大谷と岡本……

 前回、黒田博樹(広島)には文書ではなく、会見の形で広島復帰を語ってほしかった、と書いた。なぜなら、そうすれば、記憶に残る名言が聞けるに違いないから、と。あの時点で発表されていた文書の形では、黒田が一人で考え抜いた、いわば思考の現場とでもいうべきものが感じとれないではないか。と思っていたら、やってくれました。1月15日(現地時間)、自主トレを行っている米ロサンゼルス近郊で自ら口を開いた。果たして、それは名言というにふさわしい内容だった。

埼玉西武2位・佐野泰雄(平成国際大)「現実のものとなった恩師からの言葉」

「うちの大学に来れば、ドラフト上位で指名されるピッチャーにしてやる」――平成国際大学・大島義晴監督の言葉を信じ、佐野泰雄は高校で志望届を出さず、平成国際大学への進学の道を選んだ。そして4年後、その言葉が現実のものとなった。地元の埼玉西武から2位指名を受け、幼少時代からずっと目にしてきたライオンズの一員となったのだ。果たして、佐野は大学4年間で何をつかんだのか――。

中日3位・友永翔太(日本通運)「走攻守すべてのプレーを全力で」

 1月19日にサンフランシスコ・ジャイアンツへの入団が発表された青木宣親を尊敬してやまない選手がいる。友永翔太だ。プロ野球選手としては小柄ながら、俊足、巧打の外野手と、2人のタイプは似通っている。そんな友永には、彼独特の野球観がある。果たして、友永翔太とはどんな考えをもった選手なのか。

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